第14章 「黄金時代」の終結

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ナジル・シャー 短い計4年間のナジル・シャーの統治期間(1929年から1933年)は、アフガン現代史において、巨大な役割を演じ、先ず第1に、アフガニスタンにとって先例のない聖職者階級の立場の強化と同時に、内政におけるイスラム要素の強化が特徴的だった。特に、ナジル・シャーの下で、法令の基盤となったのは、シャリアートであり、並びに「ウレム会議」、「ジャマート-エ・ウラマ」が設置され、その義務には、立法及び全政府施設による宗教指示の遂行に対する監督が含まれた。宗教的穏健さに対しては、国民も積極的に管理された。これに従事したのは、特に禁止された食料品及びアルコールの需要と熱心に闘った特殊な監督省、「ウアジラト・アル-イフチサブ」であった。このようにして始まったアフガニスタンの原理主義国家への変貌過程は、1931年、新憲法の採択で終了した。その第1条は、イスラム教スンニー派ハニフ学派(計4つのイスラム法令学派の中で最も穏健なものであることを指摘する必要がある。)を国教として宣言した。国立教育は、今後、聖職者階級の手に移り、選挙権は、男性にのみ賦与された。これは、真にアフガンのムスリム正統派の「黄金時代」であり、その成果は、90年代、「タリバン」運動の思想家にとってモデルとなった。しかしながら、これは、全く予期せずして終わった。1933年11月8日、ナジル・シャーが殺された。この事件は、全人類の歴史において、悲劇的な期間の始まりと一致した。少し前の同年1月、遠いドイツにおいて、新しい首相アドルフ・ヒットラーが権力を掌握し、3月、日本軍は、内蒙古への侵入を完了した。既に将来の世界大戦の気配がしており、アジア大陸の最中心部に位置するアフガニスタンは、大国の利益の衝突の舞台に変わることになった。一方、状況のそのような展開は、現地聖職者層、こうして、アフガン版イスラム原理主義の形成過程に一定の影響を与えない訳がなかった。

 

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最終更新日:2004/04/09

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