第19章 分裂

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ラバニとヘクマティヤル ラバニ及びヘクマティヤルにより組織された蜂起までについて言えば、これは、屈辱的に終わった。準備中のクーデターについて、諜報部から警告を受け、ダウド・ハーンは、自分の権力の強化、並びにパキスタン指導部及びイスラム教徒の計画の阻止のために、一連の緊急措置を採った。彼は、全ての民間出版及び政治運動の活動を禁止した後、独自の「民族革命党」を設立した。ウレムへの関係も冷淡になり、その訴訟手続への参加は、今後、最小限となった。並行して、予期されたように、1975年2月に始まったパシュトゥン人の蜂起の指導者の支援が強化された。このようにして、今回緊急に行われた措置は、カブール体制を救った。

 ラバニ及びヘクマティヤルの支持者によりアフガニスタン北部及び東部地区で行われた反乱は、撃破に終わった。この後、失敗した両指導者は、パキスタンのペシャワールに長期滞在し、そこで、アフガンのイスラム教徒の運動の指導核心、自分の戦闘員のための訓練基地及び病院が形成された。しかしながら、アフガニスタンでの撃破は、彼らにとってただでは済まなかった。蜂起指導者であるヘクマティヤルとラバニ間に強化されたイデオロギー上の相違は、結局、彼らの最終的分裂をもたらした。一方、これは、アフガン初期の原理主義運動、ラバニの「ムスリム同胞団」とヘクマティヤルの「ムスリム青年」の分裂の原因となった。

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最終更新日:2004/04/09

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