第23章 特務機関のカバーの下

horizontal rule

スティンガーを持ったムジャヒディン アフガニスタンのアフガン難民へのほぼ全ての財政援助は、現地政府側からも、国際組織側からも、列挙された敵対派を通して流れた。その外、彼らの口座には、パキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラン、中国政府及び各種イスラム国際組織(まず第1に、エジプトの「ムスリム同胞団」 )からの巨額の寄付が入った。今日、これは、奇妙に響くかもしれないが、80年代初め当時、米側からのアフガンのムジャヒディンへの援助も、全く普通に受け入れられた。金は、イスラマバードを通して入った。つまり、1981年だけで、ワシントンは、5億ドルのアフガニスタンでの軍事行動の支援をパキスタンに手渡した。アフガン敵対派の需要への最初の「振込」は、1979年中盤、カーター大統領が当問題に関する最初の秘密命令に署名した後に行われた。1980年まで、公然の秘密だったアメリカの支援は、秘密に、特にCIAのルートで実施されたが、後に、ワシントンは、アフガンのレジスタンスに財政その他の援助の公然たる提供に移行した。

 近東における米国の同盟国、サウジアラビアも、アフガン敵対派、何よりも、彼らのイスラム教徒を非常に積極的に助けた。広範囲な財政は、サウジ特務機関の指導者タルキ・フェイサル王子からペシャワールを経由して流れた。それにも拘らず、金の外、イスラム教徒は、自分のパトロンから、世界の主要生産国の大量の武器も受け取った。アフガン戦争の初期段階、1978年から1981年の間、大部分のゲリラの装備は、旧式のロシア製、英国製及びドイツ製小銃、そして猟銃から成ったが、後に、敵対派は、十分な量の最も近代的な武器を受け取り始めた。この際、その最大量は、米国、ドイツ、パキスタン、中国及びサウジアラビアから入った。つまり、例えば、アフガンのムジャヒディンは、各時期に、かなり大量のアメリカ製携帯式対空ミサイル「スティンガー」を受け取り、今日、チェチェン人戦闘員がジャーナリストに喜んで見せている。ロシア連邦保安庁の代表によれば、「スティンガー」は、特にアフガニスタンからチェチェンに入り、それをバサエフ及びハッタブの支持者に手渡した(別の説によれば、売り渡した)のは、オサマ・ビン-ラディン以外の以外の何者でもない。

 アフガンのムジャヒディンへの武器供給におけるドイツ特務機関BND(「Бундеснахрихтунгсдинст」)の役割についても、言及に値する。しかるべき目的を持って、この強力な秘密機関の内部では、特殊秘密作戦「夏の雨」が立案すらされていた。今だから言えるが、アフガニスタンへの送金のための「カバー」となったのは、特殊な「人道援助」課を有した架空の「国際法律研究所」だった。作戦の準備と直接実施は、BND近東課長ゲル・コーネリアス(彼は、カール・ハゲマン及びクルト・ハウスマンでもあった。)が監督した。No.2は、元駐ワシントン支局長、CIA連絡幹部クラウス-ユルゲン・フォン・ベンチヴェンだった。 実のところ、軍事装具及び設備のパキスタンへの納入は、ムジャヒディンへの事後の再発送と共に、以下の人々により実施された。

bulletライネル・エルベルツハーゲン:1941年生まれ、元ドイツ空軍中佐、並びに元駐テヘラン及びバグダッド駐在武官。BND職員は、70年代中盤から。偽名ルジ・エンゲルス、コードネーム「ローザ」。
bulletエルンスト・ウィルヘルム・シュプリンガー:元ネオナチ政党の活動家、BNDの定員外職員は、60年代中盤から。

 ドイツの納入は、ハンブルグで登記された某フリッツ・ネンザの輸出会社を通して実施された。1986年から90年代初めまでだけで、アフガンのイスラム教徒は、「夏の雨」作戦の枠内において、約1千万マルクの軍事援助を受領した。武器の大部分が「ケルン・ポルツ」軍用飛行場からドイツ空軍機によりパキスタンに輸送されたことは興味深い。その外、ドイツ人によりアフガンのムジャヒディンに納入された装具及び軍事支援設備の一部が、特にイスラエルで購入されたのは興味深い。

参考:

 ダウドの敵対派は、「パルチャム」(「旗」)と「ハルク」(「人民」)の2つの潮流の周囲に形成された。「パルチャム」は、大中地主、インテリゲンチヤのエリート、国家機構及び軍の高級官僚等、富裕なアフガン人を統合した。その指導者となったのは、バブラク・カルマリだった。「ハルク」には、より過激で、遥かに多数の残り全員が入った。指導者の中には、有名なアフガンの政治家タラキとアミンが存在した。両潮流は、ソ連KGBと積極的に協力した。1977年7月、彼らは、アフガニスタン人民民主党に統合された。

ジハードの犯罪スポンサー

 各国製の兵器及び弾薬の納入の外、アフガン戦争の全期間に渡って、通常、ありとあらゆる国際貿易会社に偽装した各種マフィア結社及びシンジケートからも、ムジャヒディンに武器が渡った。この分野において、最も際立ったのは、パキスタンの犯罪集団だった。主として麻薬取引を専門とし、欧州、アメリカ、南及び東南アジアの犯罪組織と堅固な関係を有するパキスタンのマフィアは、アフガンのムジャヒディンから大量の麻薬を受け取り、代わりに、彼らに近代的な各種兵器を補給した。この外、80年代後半、イスラム教徒の若干の代表は、トルコのマフィア、特にヤサル・アブニ・ムッスルル(彼は、ヤセル・カラドゥルムスでもあった。)の強大な犯罪一族とも密接な協力を確立した。この国際規模の犯罪の「権威」は、一方で、イタリアのマフィア、中国の三角地帯並びにタイ及びビルマの麻薬シンジケートと関係している。

horizontal rule

戻る 上へ 進む

最終更新日:2004/04/09

広告 [PR]  再就職支援 冷え対策 わけあり商品 無料レンタルサーバー