第30章 蠍の戦い

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 砂漠に一度でもいたことがある者は、1つの缶に入った2匹の蠍は、必ず互いに殺しあうことを知っている。アフガニスタンからのソビエト軍の撤退が完了した1989年2月以降、事態は特にそのようなシナリオで展開した。「邪教徒」は去ったが、内戦は、この後、更に大きな力で燃え上がった。最終的に破綻したナジブラ政府に対する敵対派の圧力が、著しく強化された。2月末、絶望した独裁者は、戒厳令の導入について布告した。 この時、彼の権力は、主として大都市に及んでいたが、農村地では全居住区の約8%しか支配していなかった。敵対派は、都市でも権力の奪取に方針を変え、現状を変えようと試みた。1989年6月末、イスラム教徒は、ジェララバードで蜂起したが、3日間の戦闘中に厳しく鎮圧された。

 89年末から90年代頃、米大統領ブッシュにより任命されたアフガン問題担当特別全権代表ピーター・トムソンは、パキスタン領 内のイスラム指導者と共に、業務において激しい活動を展開した。ホワイトハウスとペシャワール間の連絡官だった彼は、送金、武器の納入を監督し、情報収集に従事した。そこには、特に、敵対派の全スパイ機構で最も効果的だったアフマド・シャー・マスードの防諜機関筋からの諜報情報が入った。マスードの部下からの情報は、ペシャワールの「ジャマート-エ・イスラミ」中央本部庁舎に入り、その後、トムソンに伝達された。この外、彼は、パキスタン特務機関ISIと密接に協力した。アフガニスタンの状況に関する情報と並行して、そこからは、イランの東部州、新疆及び中央アジアの状態に関する作戦情報がワシントンに流れた。ちなみに、同期間、1979年に設立された駐イスラマバードCIA地域本部庁舎の業務の著しい活発化も観察された。

 1990年後半、状況は、徐々にムジャヒディン有利に変わり始めた。10月、彼らは、中央部に位置するオルズガン州の州都タリンコト市、並びにパキスタンと隣接するザブリ州の州都カラチ・ギリザイ市を奪取した。1991年、カブール自体で、軍事クーデターの試みが実行された。パシュトゥン人である参謀総長兼国防相シャー・ナヴァズ・タナイは政府施設の奪取に関する命令を陸軍部隊に下達したが、従来通りナジブラに忠実な特務機関、国家情報庁と「ハード」(国家情報庁の特殊部署)は、蜂起を鎮圧した。

 最後の転機は、ドスタム将軍指揮下の大戦闘部隊(主として、ウズベク人)が、これ以上統治体制を支持することを拒否した1992年3月に訪れた。その主力が北部に駐屯していたウズベク人、アブドゥル・ラシド・ドスタムは、ナジブラに対する協力に関して、マスードと合意した。その結果、アフガニスタンの北の「首都」、バルフ州州都マザリ・シャリフ市は、同盟軍の支配下に移った。1992年4月28日、マスードとドスタムの部隊は、抵抗に遭うことなく、カブールを占領した。その時までに権力を放棄したナジブラは、既にカブールの国連使節団にいた。数日後、国は、アフガニスタン・イスラム国と宣言された。親ソ傀儡政府の統治期間が終わった。アフガンの「ジハード」の新たな拡大期間と際限のない内紛の新たな段階が始まった。

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最終更新日:2004/04/13

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