第32章 失われた地方の奪取

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 予期されたように、新しいアフガニスタン・イスラム国(ISA)の権力は、極めて不安定だった。全ての革命の運命と同様に、イスラムも全く例外ではなく、勝利の場合、元革命の同志は、陶然として計画的相互撲滅を始める。マスードとドスタムの部隊による奪取直後にカブールで集められたムジャヒディン会議の決定に従い、初代ISA大統領には、シブハトゥッラ・モジャッデジがなった。しかしながら、同年7月、彼は、当時まだ強大だった「ジャマート-エ・イスラミ」指導者ブルハヌディン・ラバニのために、大統領の椅子を拒否した。後者は、暫定連合政府を組閣し、その後半年後に、普通選挙を行うはずだった。実のところ、イスラム式民主主義へのゲームは、これらの有益な意図に限定されなかった。ラバニ、ヘクマティヤル、モジャッデジ、モハッマジ、ゲイラニ等の元同盟者は、国の未来のイメージで仲違いし、いがみ合い、後に互いに殴り合った。伝統主義者は、王政復興を得ようとし、イスラム教徒は、逆に、初期のイスラム狂信者のように、権力の世襲をイスラムの精神に反するものと考えた。そして、北の隣国、ロシアに対する対立両者の構想も、顕著に異なっていた。つまり、ゲイラニは、平和的共存と互恵協力の用意があったが、ヘクマティヤルは、あらゆる手段をもって、ロシアの「邪教徒」と中央アジア及びカフカーズにおけるその同盟者に対する戦争を継続しようとした。

 一方、原理主義イデオロギーの信奉者自身は、バーブ教運動(ヘクマティヤル)と、スーフィー教、主として強力なカディリヤ教団(モハッマジとゲイラニ)の信奉者に分けられた。この際、両陣営は、敵側に対して、決して善意を抱いていなかった。その結果、彼らの間では、事実上全ての切実な問題に関して相違が観察された。例えば、ヘクマティヤルは、国内での一党政治システムの創設に賛成したが、ラバニは、自分の師と考えたマウドゥジの影響下、勿論イスラムの枠内において、政治的多元主義の思想を支持した。 そして、女性も、論客に平穏を与えなかった。正確に言えば、全アフガン女性によるチャドルの義務的着用の導入に関する問題であった。イデオロギー、民族、経済、心理、年齢的性格のものすら、イスラム指導者及び野戦指揮官を分裂させるその他多くの矛盾も見つかった。その外、各集団の後援国は、その戦闘員の手で、アフガニスタンにおける自国の利益を擁護しようと試みた。

 結局、「ジャマート-エ・イスラミ」と「ヘズブ-イ・イスラミ」党に基づき、ウズベク人の将軍アブドゥル・ラシド・ドスタム が交互に支持した2大対立陣営が形成された。従って、アフガニスタン領土も、パシュトゥン人住民が優勢で、ヘクマティヤルが統治する南部と、ラバニ、マスード及びドスタムが統治するタジク・ウズベク人の北部に再び二分された。94年初め、後者は、誤った賭けを行い、ヘクマティヤル側に移り、そのような勢力配置は、事実上、アフガンの政治舞台に新しい強力な勢力、「タリバン」運動が出現し、国内状況を短期間で根本的に変え、全中央アジア地域に顕著な影響を及ぼした 年末まで保持された。

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最終更新日:2004/04/09

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