アフガン一般情報

[一般情報] [住民] [社会機構] [民族関係] [産業、経済、輸送] [地形・気候]

概要

 アフガニスタンは、歴史ある国である。その歴史は、遠い昔に遡る。太古から、ここには、「大シルクロード」を含む地中海からインド及び中国への隊商路が交差していた。

 アフガニスタンは、中東に位置する。その領土は、65万5千平方kmで、その内、48万5千平方kmは、山地が占める。海への出口は有さない。国境の総延長は、5,421kmで、その内、2,348kmは、中央アジアの旧ソビエト共和国に接している。アフガン・ソビエト国境は、主として、パミール、ピャンジ、アム・ダリ川を通っている。アフガニスタン北東部は、75km中国と接している。パキスタンとの国境は、2,182kmであり、イランとは、820kmである。

 独立国家としてのアフガニスタンは、1747年に宣言された。その創設者と考えられているのは、アフガンのドゥラニ部族の長、アフマド・シャーである。長期間、群雄割拠のため生まれた内紛が国を分裂させた。英国は、これを利用して、全中央アジアの植民地化のための橋頭堡を作るために、自国のインド支配にアフガニスタンを組み入れようと試みた。3回(1898〜1842、1878〜1879、1914年)、英国は、アフガニスタンの征服を試みたが、その全ての試みは、失敗した。1919年8月8日、条約が署名され、それに従い、英国は、アフガニスタンの主権を承認した。

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住民

 アフガニスタンには、1,620万人が居住している。平均人口増加率は、2.7%である。平均人口密度は、1平方km当たり26人である。最大の人口密度は、カブール(1平方km当たり305人)及びヘラート(1平方km当たり150人)である。

 都市には、国民の16.2%(260万人)が居住している。最大の都市は、カブール(91万3千人)、カンダハル(20万9千人)、ヘラート(16万人)、クンドゥス(10万8千人)、チャリカール(9万8千人)、マザリ・シャリフ(9万7千人)、プリ・フムリ(8万8千人)、バグラン(8万5千人)である。

 専業及び兼業農業人口は、68.8%(1,100万人)、遊牧民は、約18%(300万人)を構成する。住民の年齢構成率は、以下の通りである。

bullet20歳以下:52%
bullet20〜45歳:36%
bullet45歳以上:12%

 アフガニスタン住民の識字率は、10%である。

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社会機構

 国民の大部分(80%以上)は、農民及び遊牧民が構成する。

 アフガニスタンの労働階級は、少なく(50万人)、今なお、形成段階にある。手工業プロレタリアートは、約5万人を数える。

 商人と手工業者(150万人以上)が、民間経済部門である。

 地主、遊牧民族の封建貴族は、農村で強い立場を維持しており、土地・水利改革の未実行と関連している。彼らは、先進的な改革に積極的に抵抗している。

 聖職者は、重要な社会層である。国内には、25万人のムラー(回教僧)が存在する。聖職者の一部は、革命に忠実であるが、多くの者は、言葉だけではなく、手に武器を持って、国内の合法権力の新しい改革に反対している。

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民族関係

 アフガニスタンは、多民族国家である。国内には、イラン系、トルコ系、アラブ系、北インド系及びドラビダ系5語族、20以上の民族が居住する。

 アフガニスタンには、部族機構が維持されていた。民族は部族に、部族は氏族、一族、家族に分かれる。

 民族別構成は、パシュトゥ−ン人(820万人)、ハザラ人(150万人)、タジク人(330万人)、トルクメン人(約50万人)、ウズベク人(約200万人)、チャライマク人(約100万人)である。

 パシュトゥーン人は、ドゥラニ族(300万人)、ギリザイ族(150万人)、カラニ族(約150万人)の3つの部族連合に分類される。タジク人は、数に関して2番目である。主要家業は、農業である。ウズベク人は、アフガニスタン北部の中央部を占める。主要家業は、農業及び畜産業である。ハザラ人は、数に関して3番目の民族集団であり、モンゴル兵の子孫である。チャライマク人は、アフガニスタンの中央部に居住し、その大部分は、遊牧民である。

 アフガニスタンには又は、トルクメン人、アラブ人、カラカルパク人、バフチアル人、クルド人及びインドからの移住者の少数民族も居住している。

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産業、経済、輸送

 アフガニスタンの産業は、発展が非常に弱体である。手工業生産と共に、これは、国民総生産の計16.2%を占める。国内では、繊維、軽工業及び食料部門に関係する約200社の手工業企業が活動している。鉱業、冶金、機械製造産業は、形成段階にある。アフガニスタンは、豊富な原材料資源を保有している。国内では、鉄鉱石及び銅鉱石、非鉄金属、石炭、ガス、石油の大産地が発見されている。

 輸送:アフガニスタンに鉄道はない。主要輸送機関は、自動車であり、その割合は、全輸送量の4/5に達する。道路の総延長は、1万8千kmであり、その内、2,600kmは、近代的高速道路である。アフガニスタンには、8ヶ所の空港及び無舗装の滑走路を有する25ヶ所の飛行場が存在する。

 経済及び農業:アフガニスタンは、現在のところ、世界で最も遅れた発展途上国25ヶ国の内の1つである。国民所得は、年間80$を超えない。経済的遅れの克服は、経済成長速度の加速なしには不可能である。70年代の経済成長率は、5%を超えなかった。民間部門は、国民総生産の84%を占める。農業が、国家経済の基盤を構成する。農業部門には、住民の約90%が就業し、そこでは、国民総生産の70%が創出されている。毎年耕作される土地面積は、農業適地780万haの内、450万haである。例えば、1980年、農業生産は、以下の通りだった。

bullet小麦:300万t
bullet米:46万t
bulletジャガイモ:28万3千t
bullet肉:21万8千t
bullet牛乳:83万t
bullet綿:5万t

 大小有角獣の頭数は、2,800万〜3,000万頭である。

 アフガニスタンの道路は、戦闘行動の最重要施設の1つであった。ほぼ1km毎に、戦闘、事故及び大惨事の痕跡が見られた。アフガニスタン戦争時、自動車道路の割合は、貨物輸送量の85%にまで達した。毎日、28個縦隊が通過した。毎日、アフガニスタンの道路上には、ほぼ5千台までが存在した。通常、貨物の輸送は、2つの方面で実施された。1つ目は、テルメーズからプリ・フムリを経由してカブールまでの530km、2つ目は、ククシからシンダンドまでの220kmであった。環状自動車道が、主要輸送動脈だった。その最も危険な区域は、サラング峠と考えられた。事実上、第40軍の兵員の30%以上が、交通路及び検問地帯の戦闘警戒機能を遂行した。ドゥシュマンは、この大戦力を退屈させなかった。彼らは、全種類の輸送機関、特に弾薬及び燃料タンクを積んだ車両を積極的に狩った。アフガニスタンの道路を進むには、例外なく、大きな勇気、勇敢さ及び忍耐が要求された。

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地形・気候

地形

 アフガニスタンでの戦闘行動は、非常に複雑な条件下で行われた。アフガニスタンは、中近東で最も広く、乾燥し、砂漠化したイラン高原の東部を占める。

 地形は、高山である。山地が、国土の75%を占める。その海抜は、3,000から7,750mである。山頂と尾根は、万年雪と氷河で覆われている。最も強力な山地障害を創出するのは、ギンドゥクシュ山脈である。ここでは、全ての斜面が急で(40度から80度)、岩だらけであり、狭い峡谷と急流により細分されている。

 アフガニスタンの20%は、ソロンチャーク土と砂を伴い、粉状の移動する土で覆われた砂利・粘土層が占める。肥沃な盆地とオアシスは、国土の5%しかない。

 水系は、不規則に散在する。最も水量の多い寡占は、東部、北東部及び中央部に位置する。南部では、河川は非常に少なく、一時的な流れの乾いた河床が優勢である。

■気候

 アフガニスタンが亜熱帯に位置するにも拘らず、領土の山地と高度は、その自然条件を厳しくしている。

 アフガニスタンの気候は、厳しい大陸性で、夏の暑さは、+50℃に達し、冬の寒さは、多くの山岳地区において、-30℃が観測される。積雪は、2m以上に達する。冬には、雪崩の危険が常に存在する。

 国内での伝染病事情は、極めて悪い。水の感染源(川、湖、井戸、泉)は、大きな細菌感染を有し、大規模な胃腸の病気を引き起こす。深い地下水の煮沸は、所望の成果を収めていない。

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最終更新日:2004/03/15

 

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