アフガンの情報機関

 対テロ作戦の結果、現在、国土の大部分は、ハミド・カルザイのいわゆる暫定行政府が支配している。

 今、アフガニスタンでは、ハミド・カルザイ行政府と国の安全な存在を保障するはずである戦力官庁が新たに創設されている。当然のことながら、特務機関と戦力要員の個人的献身は、暫定行政府にとって第1の問題である。

 アフガニスタンにおいて、今日、中央政権を名目上だけ認めているか、一般に認めていない数十の武装部隊が活動しているのは秘密ではない。麻薬取引を専門とし、パキスタン、イラン南東部及びCISの中央アジア諸国のマフィア機構と密接に関係している強力な犯罪結社は、大きな危険である。

 しかし、戦後アフガニスタンの独立にとって、主要な脅威は、反乱部隊及び麻薬貿易業者ですらなく、外国の特務機関である。アメリカ、フランス、ロシア諜報部のエージェントが国に満ちており、パキスタンとインドのスパイについては言うまでもない。

 現在、アフガニスタンでは、以下の機構の創設に関する作業が行われている。

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アフガニスタン軍

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刑事警察

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諜報及び防諜機関

■アフガニスタン軍

 国内において、カルザイ政権の主な軍事的支えは、国防相モハマッド・カセム・ファヒムの部隊(「シュラ-エ・ナザル-イ・シャマリ」)であり、その員数は、1万人に達する。その兵員の75%は、タジク人である。

 1975年から1992年までの間、その大部分が、ダウド・ハーン体制、並びにソ連第40軍に対するゲリラ戦に参加した。1992年から現在まで、タジク人武装部隊は、競合する民族・政治集団、タリバンに対して闘争を行い、並びにパキスタンの軍及び諜報部の部隊と再三衝突した。

 当軍集団の指揮要員の大部分は、ロシアとの協力を指向している。特に、ファヒム、彼の次官アチクラ・バリヤライ、空軍司令官ドゥラニ等である。将校の一部は、イラン及びインドの戦力機構との関係を維持し続けている。

 実際、この集団は、警戒を抱かせる1つの特徴を有している。ある情報によれば、若干の外国特務機関は、過去、その構成下に独自のエージェントを獲得することができた。特に、米国、フランス、英国及びパキスタンの諜報部である。典型的な事例として、9月に殺害された同集団の指導者、アフマド・シャー・マスードの下には、数日前まで、フランス諜報部DGSEの数人の職員が付き添っていた。

 「シュラ-エ・ナザル-イ・シャマリ」と並行して、ハミド・カルザイを現実的に支援しているのは、主としてポパリザイ族から成る若干のパシュトゥン人武装部隊である。その指揮官の大部分は、1999年まで、現アフガン指導者の死亡した父の側近に属していた。

 同時に、国内では、民族・政治性の著しい数の武装部隊が活動しており、その総数は、数万人に達する。それらの指導者は、カルザイ政府を形式的だけか、一般に全く承認していない。彼らは、多くの戦略的に重要な地区を支配し、この際、外国、主としてイラン、ウズベキスタン、パキスタン、トルコ、一定の場合にはサウジアラビア側からの援助に頼っている。

 この関係におけるアフガン指導部の主要課題は、上記部隊をアフガン軍に編入することである。その構成において国内の全民族が平等に代表されることが重要である。ある集団の選別と別の集団の利益の無視は、新体制に合法性を失わせ、アフガン国内紛争の継続をもたらす。今、アフガニスタンの軍上層部では、国軍の総員数が11万人を超えてはならないと考えられている。

 その外、現在、外国の援助を利用して、最初の部隊である600人の大隊の訓練が既に行われている。過去数ヶ月間、カブールは、軍建設における一連の国家の支援を取り付けた。新しい要員の訓練と既に活動している舞台の特技課程の実施には、米英が積極的に参加するだろう。当領域における援助は、トルコ、フランス及びドイツ、余り広報されていないが、インドも提供している。2002年1月のカルザイの北京訪問、ファヒムのアラブ首長国連邦訪問中、軍事技術領域における協力について合意に達した。

 ロシア連邦とアフガニスタン暫定行政府間の関係発展は、2月のモスクワでのアフガニスタン国防相の交渉時に審議された。アフガン及びタジク領内でのロシア人教官による将兵の訓練について、話し合われた。例えば、有名な第201自動車化狙撃旅団の教育基地においてである。また、ロシア軍の大学及びアカデミーにおけるアフガン軍人の教育に関する問題も検討された。

 この外、アフガニスタン国防省は、タジキスタン国防省と密接に協力している。タジク内務省特殊任務作戦旅団隊員を含む数百人のタジク人顧問は、タリバンとの戦闘時、ファヒムの部隊で行動し、その多くは、今に至るまでアフガニスタン領内に留まっている。

■アフガニスタン刑事警察

 1月、ファヒムの盟友、内務相ユヌス・カヌニの指導の下、アフガニスタン刑事警察機構の編成が始まり、その定員は、3万人に達するはずである。

 ここで、主要な援助国となっているのは、ドイツである。1月、ボンは、これに450万ユーロを割り当てた。当時、提供する援助の目的、枠組み及び形態を決定するために、ドイツの専門家グループがカブールを訪問した。3月、ドイツ政府は、アフガニスタン警察機関の教育及び装備に関する国際援助調整局の設立についての決定を採択した。同時に、ドイツのしかるべき機構の職員団がカブールに到着した。要員訓練における援助提供と麻薬マフィア対策における顧問サービスの外、ドイツ人は、カブールへの警察アカデミーの開設に協力する義務を負った。

 ロシアの警備隊も、プロセスに参加した。カヌニの最近のモスクワ訪問と内務相ボリス・グルイゾフとの交渉時、犯罪対策における両国の協力に関する覚書が署名された。1月、米国と類似の合意に達した。現在、刑事警察には、麻薬対策に関する特殊部署が創設されており、ロシア、タジキスタン、イラン、ドイツ及び米国の麻薬対策職員と協力するだろう。

■諜報及び防諜機関(国家保安局

 保安システムにおいて最も重要なこの機構は、カルザイのパシュトゥン人の盟友とファヒムの支持者間の相違の原因となった。今まで、国防相の代表者の立場は、好ましいものと見られていた。彼の代表者は、現権力機構において単純多数派だった。その結果、保安機関の創設は、ブルハヌディン・ラバニ政権の保安省(1992年夏から2001年秋まで、M.ファヒムが指揮した。)、言い換えれば、北部同盟の枠内において組織、「ジャマート-エ・イスラミ」の諜報及び防諜機構に基づき行われている。これは、70年代後半〜80年代初め、アフマド・シャー・マスードの外国人顧問(主として、CIA、DGSE、ISI)の助けにより創設され、ムジャヒディンの他の集団の類似機構とは質的に異なっていた。防諜機関に特別の注意が払われ、そのおかげで、80年代、「ジャマート-エ・イスラミ」指導部は、エージェントの浸透が最も困難であると考えられた。その結果、1983〜1988年に着手されたマスード周辺へのエージェントの浸透に関するアフガニスタン民主共和国保安省とKGBのほぼ全ての試みが摘発された。対外諜報部も、効果的に働いた。80年代、諜報部は、最高司令部及び政治指導部を含むアフガニスタン民主共和国の全ての軍事及び政治機構にエージェント網を有していた。ソビエト軍指導部とアフガニスタン民主共和国参謀本部のほぼ全ての作戦工作が、予めアフマド・シャー・マスードに充てられていたバブラク・カルマリの統治期間(1979〜1986年)に、最大の成功が収められた。彼の諜報機関が、直接「ソビエト筋」からの秘密情報の入手を組織できた以上なおさらである。工作の主要対象は、中央アジア出身のソビエト軍兵士だった。マスードは、彼の昔の盟友、グリベディン・ヘクマティヤルの隊列にも情報提供者を有していた。

 90年代後半、マスードの特務機関は、パキスタンの省庁間情報庁(ISI)及び軍事諜報部の作戦に上手く抵抗しつつ、タリバンの隊列内に広大なエージェント網を創設した。同時に、タジキスタン、イラン、インド及びロシアの諜報部との密接な協力が組織され、フランス諜報部との接触が頻繁になり、並びにCIAとの関係が復活した。

 現在、諜報領域におけるM.ファヒム周辺の主要パートナーは、ロシア、タジキスタン、インド及びイランの特務機関である。昨年末、一連のアラブ諸国、特にアラブ首長国連邦、サウジアラビア、ヨルダンのしかるべき機関との関係も樹立された。

 中国公安部との接触も実施されている(アラブ筋の情報によれば、ハミド・カルザイは、1月23日、北京において公安部長買春旺と会見すら行い、特に、アフガニスタン領内でのウイグル人イスラム教徒の活動に関する問題を彼と審議した。)。

 しかしながら、過去数ヶ月間、特務機関創設を巡る紛争は、強く先鋭化した。各種ルートによる大規模な圧力が、ワシントン、ロンドン及びエル-リャド側からM.ファヒムの周辺に加えられている。一方、ロシアを含む北部同盟の伝統的な国外パートナーは、ムスリム世界(アンカラとイスラマバードを含む。)における西側とその同盟国の意図に効果的に抵抗するのに十分な経済的及び政治的影響力を有していない。

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最終更新日:2004/03/31

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