特務機関は、いかに黒い大陸を分割しているのか?
ミハイル・ファリコフ、ヴェルシヤ、10.02.03
米国の対テロ作戦を契機に、アフリカ大陸において、影響範囲の再分割が始まった。特務機関が再び主要な道具の1つとなった。これは、既に最初の再分割には程遠い。当初、大陸は、欧州の宗主国のしかるべき機構が、後に、社会主義陣営と「自由世界」の諜報部が分割し、彼らに引き続き、今度はアラブ諸国が訪れた。今、光景は再び変わっている。CIAの密使が、黒い大陸の空港の半分に降り立った。ちなみに、長年の中断の後、アフリカにロシア連邦の特務機関も現れた。例えば、ロシアは、武器納入に同意したスーダンにおいて、代わりに、ハルツーム州の地質調査権を得た。
■バトル・ロワイアル
アフリカへの主な期待は、その多くが今まで調査すらされていない石油、ガス及び貴金属の産地である。その原因は、その建国時から地域の大部分の国に典型的な複雑な国内状況である。西側諸国は、既に何十年も自国に有利に変えようと試みている。この間、アフリカの秘密戦線の主要参加者と法則が決定付けられた。それらに従い、ここでは、しばしば、最も予期せぬ同盟が形成され、大陸外で採られた同盟関係は、しばしば、あらゆる意味を失っている。つまり、例えば、50年代、ドイツ諜報部BNDは、フランスの統治に反対したアルジェリア及びチュニスのゲリラを支援した。60年代末、西ドイツとフランスの特務機関は、東ナイジェリアの反乱軍に援助を提供したが、当時、CIAとMI6は、政府側で活動していた。70年代、アフリカの数ヶ国において、米国とイスラエルの諜報部が直ちに激しい対決に入った。この際、「モサド」は、KGBに代表される共通のライバルに対して、中国の国家安全部と積極的に協力した。
ここでの勢力配置は、急激に変わり、このことは、常なる戦争とクーデターが可能としている。昨日のパートナーは、今日、宿敵となり得る。
特にこのことは、米国がそのアフリカの計画を再検討せざるを得なくした主要原因となった。というのも、9月11日以後の最初の数ヶ月間、ホワイトハウスは、テロ対策がアフガニスタンとイラクに限定されないことに理解を示した。予想される標的としては、ソマリアとスーダンが挙げられた。2001年末、アメリカ人は、上記の国の直近において、事実上の準備に入った。ペンタゴンの部隊が、イエメン及びジブチのフランスの基地に到着し始め、ソコトラ島のアメリカ軍部隊が増強された。2002年1月、NSAは、ソマリアのラジオ放送に対して支配を確立し、米海軍は、その領海を封鎖した。アラブ筋によれば、作戦は、4月に計画されていたが、東アフリカの大部分がその伝統的な影響地帯に属しているロンドン、パリ及びローマは、その実施に反対した。結果として、DGSE、SISMI及びMI-6は、ケニア、ソマリア、ジブチ及びエリトリアの各地区において、一連の共同措置の実施に関する任務を受領した。間もなく、当地域におけるCIAと「モサド」のインフラは、ほぼ完全に無力化された。しかるべき諜報保障がなく、ソマリア侵攻を中止せざるを得なかった。ちなみに、同理由により、米国とイスラエルの特務機関は、5ヶ月後、テロリストがナイロビで観光客のグループを攻撃したとき、不意打ちを食らった。
今日、アフリカ大陸における各種諜報部の競争は、顕著に活発化した。昨年夏にモロッコとスペイン間で起こった領土紛争は、そのもう1つの原因となっている。例えば、モロッコ国王モハマッドVI世は、昨年夏、英諜報部の支援
を取り付けた後、スペインに挑戦することに決めた。
■歴史的経験
20世紀前半、西側特務機関は、アフリカにおいて、相互の闘争と原住民の反欧州感情の鎮圧に明け暮れた。この間、フランス諜報部は、ほぼ全大陸をスパイ網で取り巻くことに成功した。このために、フランスは、自国の植民地だけではなく、アフリカのフランス移民も効果的に利用した。これに対峙したのは、英特務機関である。イタリア、ドイツ、ポルトガル及びベルギーがこれに引き続いた。第二次大戦後、状況は余り変わらなかった。ドイツ人が今長期間ゲームの外にいることを見込んで、フランス人と英国人は、愚かに誤算した。伝説的なラインハルト・ゲーレンは、アフリカのアブヴェールの多くのエージェントとの連絡を回復することができ、50年代中盤までに、BNDの地域ネットワークが既に機能していた。
状況は、最初の独立国が出現し、モスクワがこれを利用した50年代末に変わり始めた。西アフリカのギニア、マリ及びガーナの3ヶ国には、KGB職員が直ちに現れた(ここでは、1966年までに、ソビエトの専門家の数は、既に1,000人に達していた。)。3ヶ国との同盟関係が短命だったにも拘らず、ソビエト諜報部は、地域におけるその影響力を拡大し続けた。
特別の意義を獲得したのは、1963年に署名されたソマリアとの協定である。同国は、東アフリカにおけるソビエト特務機関の真の橋頭堡に変わり、その上、ここで、GRUは最大の積極性を現した。モスクワは、1967〜68年にソ連諜報機関のプレゼンスが拡大したスーダンにおいて、同じ事を繰り返そうと試みた。しかしながら、1971年、イスラエル・中国の扇動の結果、ハルツームにおけるソビエトの立場は、顕著に損なわれ、6年後、ソビエト連邦からの専門家は、スーダンを離れざるを得なかった。同年、モスクワは、ソマリアも失った。エチオピアの支援は、東アフリカにおけるGRUの能力をある程度高めたが、総じて、期待に応えなかった。一連の失敗にも拘らず、ソ連特務機関は、80年代までに、アフリカの見えない戦線の
主要参加国中において相応の地位を占めた。ここでの特別の貢献は、外交カバーの下で行動しつつ、ザンビア、ナミビア及びボツワナにおいて著しい成功を収めることができたKGBの高級将校ソロドヴニコフに帰する。
しばしば、ソビエト諜報部は、アフリカ大陸において、東ドイツ及びキューバの特務機関と密接に協力した。キューバ人は、50年代末にここに現れた。彼らの最初の橋頭堡となったのは、現在のタンザニア領土である。当時、アフリカ大陸での作戦は、フィデル・カストロの個人的全権代表、ジョン・オケロが指導した。60年代中盤、パトリス・ルムンバを助けに来たチェ・ゲバラもここに滞在した。事後、キューバ人は、アフリカ諸国の大部分にその影響力を拡大し、ここの多くの紛争に参加した。彼らの活発な活動は、90年代初めまで継続した。
ソ連とキューバの特務機関の少し後、「シュタージ」がアフリカに現れた。その代表の最初の代表団は、1964年にタンザニアとガーナを秘密訪問した。その1つの構成員の中には、新しい国家の保安機関の編成に個人的に参加したマルクス・ヴォルフがいた。13年後、ゲルハルト・ナイベル少将が同じ事に従事し、100人の「シュタージ」職員の長として、エチオピア特務機関の創設に従事した。同国は、東ドイツ体制の崩壊に至るまで、アフリカにおける東ドイツ諜報部の主要パートナーだった。
ソ連とキューバの特務機関と事実上同時に、中国国家安全部職員がアフリカ大陸に現れた。中国諜報部の橋頭堡としては、そこに4千人以上の漢民族共同体が存在した以上、ギニアが選定された。同国は、大陸西部における国家安全部の橋頭堡となり、東部では、1964〜65年、タンザニアに類似の役割が割り当てられた。中国諜報部の主任務は、ソ連の立場の破壊にあった。60年代、国家安全部は、「モサド」との激烈な対決に入った。両国は、非常に著しい損害を負った後、協力に関する協定に帰着した。60年代末〜70年代初め、中国とイスラエルの特務機関は、ソ連に対する努力を統合した。
ソビエト連邦、キューバ、東ドイツおよび中国の特務機関は、アフリカに浸透し、ここで、上記欧州諸国の諜報部と衝突した。間もなく、その競争は、CIAの注意の向上をもたらした。60年代〜80年代、アフリカの見えない戦線は、冷戦の主戦場の1つだった。
■継続
過去10年間、アフリカ大陸の主導権は、中近東の特務機関に移った。フランス、英国、イタリア及び米国の諜報部の活発な活動が続いているにも拘らず、しばしば、イランとサウジアラビアの特務機関
がしゃしゃり出た。
北アフリカ、特にアルジェリアにおいて、イラン情報・保安省は、80年代から活動を行った。しかしながら、イラン諜報部は、90年代前半
になって初めて、大陸奥深くへの勝利の前進を始めた。ここでそれを助けたのは、スーダン特務機関、並びにアフリカ諸国に居住するシーア派共同体であった。イラン情報・保安省と異なり、サウジアラビア総合情報庁は、70年代から大陸で業務を行っている。同じ事は、チャドとモーリタニアで最も堅固な立場を占めているイラク特務機関にも関係している。イラン、サウジアラビア、エジプトその他の近東諸国の諜報部の活動は、過去数年、増大している。
■特務機関の万華鏡
アルジェリア:
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20世紀:フランス |
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50年代末〜:中国 |
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60年代前半〜80年代末:ソ連 |
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60年代前半:キューバ |
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80年代〜:イラン、サウジアラビア |
アンゴラ:
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20世紀:ポルトガル、英国 |
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20世紀初め:ドイツ |
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70年代初め:PLO |
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70年代前半:中国、ルーマニア |
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70年代中盤〜80年代末:ソ連、東ドイツ、サウジアラビア |
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60年代〜90年代初め:キューバ |
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70年代前半〜:米国 |
ベナン(ダゴメア):
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20世紀:フランス |
ボツワナ:
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〜70年代初め:英国 |
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70年代後半:ソ連 |
ブルキナ・ファソ:
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20世紀:フランス |
ブルンジ:
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20世紀:ドイツ、フランス、英国 |
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60年代前半:中国 |
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90年代初め〜:イラン |
ガボン:
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20世紀:フランス |
ガンビア:
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20世紀:英国 |
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80年代:フランス |
ガーナ:
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〜50年代末:英国 |
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50年代末〜60年代後半:ソ連、キューバ、中国 |
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60年代中盤:イスラエル、東ドイツ |
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60年代:米国 |
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90年代〜2002年:米国、フランス、英国、日本 |
ギニア:
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〜60年代中盤:フランス |
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50年代末〜:中国 |
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50年代末〜60年代初め、70年代:ソ連 |
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70年代:キューバ |
ギニア・ビサウ:
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20世紀:ポルトガル |
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〜60年代初め:フランス |
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70年代:キューバ |
ジブチ:
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20世紀:フランス |
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70年代末〜:サウジアラビア |
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80年代後半〜:エジプト |
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80年代末〜90年代初め:イラン |
ザンビア:
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20世紀:英国 |
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60年代:中国、イスラエル |
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70年代後半〜:ソ連 |
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90年代〜2002年:米国、英国、イスラエル、中国、日本 |
ジンバブエ:
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20世紀:英国 |
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70年代中盤〜:ポルトガル |
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70年代〜80年代:東ドイツ |
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80年代:ソ連 |
カメルーン:
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20世紀:フランス |
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50年代末:中国 |
ケニア:
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20世紀:英国 |
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〜60年代:イタリア |
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60年代中盤〜:イスラエル、中国 |
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60年代:ソ連 |
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70年代末〜80年代初め:米国 |
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90年代〜2002年:米国、イスラエル、イラン |
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20世紀:ベルギー、フランス、英国 |
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50年代末〜60年代初め:中国 |
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50年代末〜60年代初め:米国 |
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60年代前半、70年代後半:キューバ |
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60年代前半:ソ連 |
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60年代〜:イスラエル |
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70年代末:サウジアラビア |
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90年代初め〜:イラン |
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90年代〜2002年:米国、イスラエル、ベルギー、ドイツ、フランス、中国、サウジアラビア、イラン |
コートボアジュール(象牙海岸):
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20世紀:フランス |
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90年代〜2003年:米国、ドイツ |
リベリア:
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60年代〜:イスラエル |
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80年代:ソ連 |
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70年代〜90年代初め:米国 |
リビア:
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20世紀:フランス、イタリア、英国 |
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20世紀初め、30年代〜40年代初め:ドイツ |
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50年代〜60年代:米国 |
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50年代〜:エジプト |
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70年代末〜80年代初め:南イエメン |
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70年代〜80年代:シリア |
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70年代〜80年代末〜90年代初め:ソ連、東ドイツ、キューバ |
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90年代〜2002年:米国、フランス、英国、サウジアラビア、イスラエル |
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20世紀:フランス、スペイン、イタリア |
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80年代後半〜90年代末:イラク |
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80年代末〜90年代初め:イラン |
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90年代前半〜:イスラエル |
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90年代中盤〜末:米国 |
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90年代:中国、日本 |
マラウイ:
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20世紀:英国 |
マリ:
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20世紀:フランス |
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50年代末〜60年代初め:ソ連 |
モロッコ及び西サハラ:
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20世紀:スペイン、フランス |
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20世紀初め:フランス、スペイン、ドイツ |
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40年代前半:ドイツ、英国、米国 |
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50年代中盤〜:米国 |
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60年代初め〜:イスラエル |
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70年代:サウジアラビア、エジプト、イラン |
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90年代〜現在:フランス、スペイン、イタリア、米国、サウジアラビア |
モザンビーク:
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20世紀:英国、ポルトガル |
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20世紀初め:ドイツ |
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70年代中盤〜80年代末:ソ連、東ドイツ、キューバ |
ナミビア:
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20世紀:英国 |
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20世紀初め:ドイツ |
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〜70年代:ポルトガル |
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70年代後半:ソ連、東ドイツ |
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80年代〜:米国 |
ニジェール:
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20世紀:フランス |
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〜60年代:英国 |
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20世紀:フランス、英国 |
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60年代〜:イスラエル |
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60年代末:西ドイツ |
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60年代後半〜80年代末:ソ連 |
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90年代〜2002年:米国、フランス、イラン |
セネガル:
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20世紀:フランス |
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〜70年代:英国 |
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60年代〜70年代初め:中国、キューバ、東ドイツ |
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80年代:米国 |
ソマリア:
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〜60年代:英国、イタリア |
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60年代前半〜70年代後半:ソ連 |
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70年代前半〜:キューバ |
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70年代後半〜90年代後半:米国 |
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90年代初め〜:イラン |
スーダン:
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20世紀:英国 |
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50年代前半〜:エジプト |
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50年代中盤〜:イスラエル |
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60年代〜70年代初め:ソ連 |
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60年代末〜70年代初め:東ドイツ |
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60年代〜:西ドイツ |
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70年代初め〜:サウジアラビア |
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北部90年代〜2002年:イラン、サウジアラビア、米国 |
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南部90年代〜2002年:米国、英国、ドイツ、イスラエル |
シェラ・レオネ:
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20世紀:英国 |
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50年代末〜60年代前半:中国 |
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70年代:キューバ |
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〜80年代初め:フランス |
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80年代:イスラエル |
タンザニア:
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20世紀:英国 |
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20世紀初め:ドイツ |
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50年代末〜60年代初め:キューバ |
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60年代前半〜:中国、イスラエル |
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60年代中番:東ドイツ |
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90年代〜2003年:イラン、中国。米国、イスラエル |
トーゴ:
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20世紀:フランス |
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20世紀前半:ドイツ |
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20世紀初め〜60年代初め:英国 |
チュニス:
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20世紀:フランス、イタリア |
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40年代:ドイツ |
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40年代前半:英国、米国 |
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50年代後半〜70年代初め:エジプト |
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70年代末〜80年代初め〜90年代初め:イスラエル |
ウガンダ:
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20世紀:英国 |
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20世紀初め:ドイツ |
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90年代初め〜:イラン |
チャド:
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20世紀:フランス |
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80年代初め:イスラエル |
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80年代〜:米国 |
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80年代後半〜90年代初め:イラク |
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90年代初め〜:イラン |
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20世紀初め:ロシア |
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20年代〜40年代初め:イタリア |
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40年代:ドイツ |
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30年代〜70年代:フランス、英国 |
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50年代末〜60年代初め〜80年代末:ソ連 |
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50年代末〜:イスラエル |
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70年代後半〜80年代末:東ドイツ、キューバ、南イエメン |
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80年代〜:サウジアラビア及びイラン |
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20世紀:英国 |
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50年代〜:イスラエル |
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60年代前半:ソ連、キューバ |
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60年代末〜70年代初め:東ドイツ |
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90年代〜2002年:イラン、イスラエル、米国、英国 |
*リストには、表記された期間に特に活発な活動を行い、他の国外機構とは異なった外国特務機関だけが掲げられている。資料の準備の際、敵対性も、同盟性の活動も考慮された。アフリカ特務機関同士の活動は、当リストでは検討されていない。
最終更新日:2004/03/15
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