エジプトの情報機関

■特務機関のシステム

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総合情報庁(ムハバラート・エル-アーマ):長官オマル・スレイマン・アル-リファイ

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軍事情報庁(ムハバラート・エル-ハベヤ)

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国家保安捜査総局(ムバハス・エル-ダウラ)

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国家保安庁(ジハズ・アムン・アル-ダウラ)

 アラブ諸国には、「文民」と「軍人」の2種類の秘密機関が存在する。軍事情報庁は、国外での軍事性情報の収集を実施する。保安庁(「文民」)は、特に国内に存在する体制の擁護に従事する。

 エジプトにおいて、指導的な役割を演じているのは、「文民」の特務機関である。1967年と1970年、特にこの特務機関の指導者が、反体制の陰謀に参加したことは驚くに値しない。軍事諜報部の同僚は、政府への忠誠心を保持しただけではなく、当局の支持を誇示した。総合情報庁(主要な「文民」秘密機関)は、国内外の保安を担当する。この特務機関の長官は、通常、軍の隊列から「徴募」される。

■ロシアとの関係

 エジプトとソ連の特務機関間の最良の時期は、60年代末〜70年代初め(1972年に至るまで)に当たる。ガマリ・アブデル・ナセルの死後、エジプト大統領には、徐々に政治指向を親ソから親米に変え始めたA.サダトがなった。その結果、エジプト特務機関は、ソビエト軍人、特に指揮官要員により多くの注意を向け始めた。ソビエト軍将校が住む建物の非公然捜索が行われた。当時の駐エジプトKGB支局員は、現SVR長官附属諮問部会議長ワージム・キルピチェンコだった。

 1994年9月、ロシア連邦大統領は、「ロシア連邦連邦防諜庁とエジプト・アラブ共和国総合情報庁間の協力に関する協定の締結に関する」指令第492号-rpに署名した。

 エジプトとロシアの特務機関の利益に係わる最近のスキャンダルは、2000年12月に起こった。当時、エジプト市民シャリフ・ファウジ・アル-フィラリが、イスラエルのためのスパイ行為の嫌疑で、最高国家裁判所の前に立たされていた。同事件に連座したロシア市民グリゴーリー・キプニス(セヴェツ)は、欠席裁判が行われた。エジプト人の情報によれば、過去軍の将校だったキプニスは、数年前、スペインにいたとき、シャリフ・ファウジと接触を確立した。消息筋の情報によれば、エジプト特務機関は、イスラエル対外諜報部の正職員が「軍の経歴を有するロシア市民」の架空履歴の下に隠れていないかを検査している。ファウジとキプニスは、エジプトに関する「政治、経済及び軍事性の情報」をモサドに提供していた。特に、ファウジは、エジプト軍将校、並びに南部の重要戦略施設の建設に関する諜報情報の収集に従事していた。イスラエル人とファウジ及びロシア市民の協力は、物質的動機により実施された。エジプト筋によれば、ファウジは、自分のサービスに対して、計5,000ドルをモサドから受け取った。

 回答として、2001年4月、検察総局北カフカーズ局取調課は、取調課が有する情報によれば、チェチェン及びダゲスタンで諜報・破壊工作活動に従事していたエジプト市民セルヴァフ・アビド・サードを連邦及び国際手配した。FSB局は、エジプト人がダゲスタンでのバーブ教の伝道に協力し、宗教過激派にいたと確信している。1月、S.サードは、エジプトに去り、その後、彼の所在については、何も知られていない。

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最終更新日:2004/03/15

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