エジプト情報機関史

■古代エジプト史

 古代国家の歴史的に信頼できる時期の始まりは、伝統的に、石、粘土板、皮及びパピルス上の銘文という最初の書面連絡の出現期間と関連している。古代エジプト史、エジプト人の起源自体及びナイル・デルタのその植民地化の始まりは、周知の理由により、あまり研究されていない。メネ王(ナルメレ)の下で上エジプトと下エジプトが1つの国に統合された紀元前3千年になって初めて、比較的明らかになる。特に、外交的内容を含む年代記の出現は、メネ王の統治時代に遡る。

 当時のエジプト国家の領土は、地中海からスーダン国境まで広がり、人々の居住に適したナイル峡谷、自然の河岸オアシス、その両岸に沿って不毛の砂漠が存在した長さ約1千km、幅10km超ばかり地帯だった。外敵からの国家防衛のために、ファラオには、良く機能する国家機構と戦闘能力のある軍隊だけではなく、諜報機関も必要だった。この機関と共に、文書の迅速な送達システムも不可避的に発展した。報告は、粘土板上に書かれ、飛脚により伝達され、書簡と共に派遣された飛脚は、数行程毎に交替して、必要な情報を迅速に伝達することができた。反乱準備とクーデターの試みに関する情報が、陰謀者の秘密保持にも拘らず、エジプトの首都フィヴイに適時に届けられたことが知られている。このことは、発展して密告者システム及び中央と州の整備された密使連絡について語っている。

 アメンホテップIII世(B.C.1455頃〜B.C.1419)の下で作成された近東との通信文において、エジプト王の諜報部の業務に関する次のような証言を見出せる。「陛下は、イカチ市に住む東方住民の若干の者達が、そこに配置された政府軍を粉砕することを目的とした陰謀を企んだことを知らされた」。その種の情報は、恐らく現地住民中から選ばれたエジプトのエージェントからしかもたらされないことが理解される。

 対外諜報機関と並行して、エジプトには、秘密警察といえる機構が存在していた。つまり、アメンホテップIV世(B.C.1419〜B.C.1400)時代の年代記では、その義務に非公然捜査の組織が含まれた王宮附属のある高級官僚が言及されている。

 国外には、定期的に諜報員を派遣し、今日まで保存された証拠から判断すれば、素晴らしく働いた。つまり、エージェントは、ヌビアの陰謀をそれが詳細まで立案されるよりも先に暴露した。 この事件を記念して、на скале у первого нильского порога была выбита надпись:

 「陛下の元には、国の敵、クシュが反乱を企てたという連絡も入った・・・」。

 「陛下は、最初の行軍で勝利を収めた・・・怒り狂った獅子のように、彼は、クシュ国を攻撃し、それを奪取した。反乱の頭目全員は、были побеждены в своих долинах, 最後の1人に至るまで自分の血で溺れた・・・」。

 アメンホテップIII世の治世後期と彼の後継者アメンホテップIV世の統治の最初の数年間は、歴史最古の外交書簡集を我々に残した。エジプトの近東領地総督とファラオの壮大な通信文が、テル-エル-アマルナ市で発見された。全世界に知られた楔形文字の粘土板は、донесли до нас образцы восточной проницательности и коварства в 古代の国際関係

■マムルーク統治時代(1250〜1516)

 マムルーク朝(1250〜1517)について言えば、この期間の諜報に関する知識として、мы обязаны автору энциклопедии アブ-ル-アッバス・アフマド・アル-カルカシャンディ(1355〜1418)の百科事典「スブフ・アル-アシャ・フィ・キタバート・アル-インシャ」 (「仕事に暗い写人のための松明」) . 1412年頃に完成したこの14巻の百科事典は、国家官房たる記録・書簡枢密院(ディヴァン・アル-インシャ・ワ-ムカタバート)の勤務員用のものだった。このジャンルでは古典的である百科事典は、包括的な便覧と教育参考書を包括し、и содержит самые разнообразные сведения по 歴史及び地理、事務及び対外政策問題、каллиграфии и титулатуре. В качестве образцов в ней приводятся уникальные подлинные документы и письма из архива государственной канцелярии エジプトの国家官房の

 この情報源によれば、マムルーク朝エジプトの諜報機関は、カチブ・アス-シル(文字通り、「秘密を保管する写人、官僚。書記」)と呼ばれた官僚の管轄下にあった。「書記官」は、記録・書簡枢密院 (国家官房)を指揮し、マムルークの下での世俗文民官僚(アルバーブ・アル-アクラム)の階層で最高レベルの1つを占めた。「視線の道」(アル-ウマリ)では、 сказал: 「その本質は、в том, чтобы スルタンに来る書簡を読み、それに対する返答を書き、スルタンの署名を得て発送し、命令を交付及び発送し、заседать в Доме справедливости для 請願の通読及びそれに関する決定の採択." ワジル職に関する話では、уже говорилось, что он стал подписывать то, что раньше подписывал вазир - под присмотром султана, когда это требовалось, а также стал заниматься другими делами: ведал 郵便業務と飛脚及び使節の派遣を監督し、ダワダルと一緒に スルタンの業務の大部分に参加しており、このことについては、既に詳細に語った」と、この官僚について、カルカシャンディは書いている。この外、「書記官」は、「間諜及びスパイ問題」を管轄し、並びに郵便機関の業務(伝書鳩も含む。)を監督し、イスマイル派に対する監督を実施し、聖地巡礼の組織、灯台等を監督した。

 「書記官」は、諜報要員の選抜に個人的に従事し、スパイ活動を指導し、彼らを任務に派遣し、帰還後その報告を聴取し、稀な場合にのみ、諜報員との関係を信任者に伝えた。

 特にその事業において競合する敵対国の住民の会話の聴取、並びに間接データの分析からの必要な情報の入手(諜報員は、「ある事から別の事」を知らなければならない。)のような情報収集方法が実践された。

 明らかに、マムルークのスパイは、今日「非合法」諜報と呼ばれることに従事していた。彼らは、目立たず、注意を引き付けないように、その住民に化けて他国印滞在した。この時、いわゆる「合法的」諜報 も存在し続け、敵対国に派遣された大使、飛脚等が情報収集に従事した公算が大きい。スパイが獲得した情報の信頼性は、それを証明する各種データの数に応じて評価された。情報の分析とその総括には、諜報部の指導者である「書記官」自身が従事した。彼は、各諜報員から入ってくる情報の比較に基づき、独自の結論を下した。それらが矛盾する場合、彼は、自分の経験と直感に立脚して、最終決定を採択した。

 何よりも、諜報員は、以下のような一連の職業的熟練度を有さなければならなかった。

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スパイが働くことになっている国の言語の習熟

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国自体とその住民の習慣の知識

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旅行経験

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各種情報入手手法の駆使

 スパイの個人的資質の中には、выделялись такие, как 鋭い知性と洞察力、狡猾さ、機敏さ、стойкость перед лицом возможных испытаний, а также искренность и правдивость.

 諜報部の長の任務の1つは、その部下の変節又は再徴募を許さないことだった。この任務の遂行のために、現世、死後を問わずに裏切り者に待つ罰に関する言及から、上手く遂行された任務に対する定期的な贈り物及び報酬まで、 非常に様々な精神的及び物質的作用方法が利用された。

 諜報機関の全活動は、秘密のカーテンにより包まれ、что нашло отражение даже в その指導者の職名: カチブ・アス-シルは、既に語ったように、文字通り訳せば、「秘密を管理する写人」を意味する。俗語において、この職務の名称は 歪められ、その保持者は、カチム・アス-シル(「秘密を隠す者」)と呼ばれた。

 スルタン軍の誰も、書記官に従属するスパイを知っていてはならなかった。スパイも、互いに知っていてはならなかった。それを知り得たのは、諜報部の長か、彼の信任者だけだった。スパイ自身も、知るべきこと以上のことを知っていてはならなかった。例えば、彼らは、獲得した情報がいかなる意味を有するのか気付いてはならなかった。

■アラブ連合共和国の特務機関(1958〜1961)

 アラブ連合共和国(UAR)が存在していた全期間、エジプトとシリアの秘密機関は、いわゆる「兄弟国」に対する共同破壊活動を中断しなかった。同期間、イスラエルに対する作戦は、非常に希にしか行われず、通常、失敗に終わった。時折、外国国家(非アラブ)に対する防諜性作戦が実施された。

 エジプトとシリアの特務機関の統合が、顕著な成果をもたらさなかったことを認める必要がある。これは、企画倒れの同盟であり、その枠内において、エジプト人は、シリア人を従属させようと欲した。一方、後者は、自国の特性を保持しようとした。

 多くのエジプト人がシリア特務機関の様々なポストに任命されたにも拘らず、北部地帯(シリア)のこの機構は、その本質に関してシリアのままだった。何れにせよ、それほど長く、アブド・アル-ハミド・サッラジュ中佐がそれを指揮していた。

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最終更新日:2004/03/15

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