イランのコンピュータ産業

インターネット

 イランで最初のインターネット接続は、1993年1月、BITNET網を通して実施された。欧州学術科学ネットワーク(EARN)のイラン人メンバーにサービスしたPMと、ウィーンの大学間に、接続速度9,600kbit/sの割当線1本が組織された。接続は、е-mail、ftp、telnetのようなサービスのみを保障した。同国に対して、クラス「C」のIPアドレスの最初のネットワークが割り当てられた。

 それにも拘らず、インターネットの利用は、特別リストによる大学及び政府の者だけが許された。90年代末、イランにおいて、イランの研究センターの近くに位置するシャゲク村において、テヘラン市外で最初のインターネット接続が行われた。この後、テヘランにおいて、 最初の、所有者にとって非常に高収益なインターネット・カフェが開設され始めた。当時、イラン外務相は、その他の資料の外、イスラム共和国の設立者ルゴラ・ホメイニ師の労作が掲載された独自のウェブ・サイトの開設についても表明した。イランの宗教指導者ハメネイ師、イラン大統領は、インターネット上に自分自身の公式サイトを有している。

 今日、国内では、約7社のインターネット・プロバイダーが活動しており、その最大のものは、ネダ・ライアネ研究所(NRI)である。ある評価によれば、2001年12月、国内の42万人以上が、インターネットへのアクセスを有した。最近、インターネット上では、ペルシャ語 のネット日記数の著しい成長が認められた。アナリストの指摘によれば、次の3〜4年で、ネット上のイラン人の数は、1,500万に達し得る。イランにおけるインターネット聴衆の増加は、若者によって起こっている。今、 ここでは、6歳以上の文盲は、約21%(1,000万人)だが、学生数が1,890万人である以上なおさらである。

PCと電子産業

 ハイテク技術と生産領域におけるいかなる進歩も、今日、強力な計算手段も必要としていることが完全に理解される。米国及び欧州共同体全体により導入された最新設備納入に対する厳格な制限にも拘らず、それはイランに存在する。

  通関手続領域において熟慮された政策、オイルダラーとイランの多数の貿易関係は、関税障壁をほぼ無にしている。隣のポスト・ソビエト諸国が独立までに創設された全国家機構の独自性と高い汚職度を獲得したことによって、ここでの状況が著しく緩和された以上なおさらである。

 それにも拘らず、近代機材を生産する国営会社のリストは、印象的である。例えば、Shahid Ghandi Communication Cablesは、1985年に設立され、その製品は、遠距離通信分野の国内需要に向けられている。同社の本社と生産場所は、約100haの面積を占めつつ、 ヤズド(Yazd)市近隣に位置する。定員は、750人以上に達する。年間生産規模は、銅線80億m、光ケーブル8,000km、及び各種ケーブル60,000kmである。製品は、ISO 9001及び9002標準に一致する。

 会社グループ全体は、米国のシリコン・バレーとほぼ同様に、通信、医療、日用電波電気機器(テレビ、ラジオ受信機、デジタル録音機、電話機等 )用の電子機材のセット、警報及びビデオ監視装置、測定装置、スマート・カードその他の近代機材を開発及び生産している。遠距離通信用の製品の中には、500万番号までの容量を有するデジタル・オフィスATC、中央制御通信盤、PCM-4、PCM-8、PCM-30変換装置が存在する。GSM標準の基地局、ペイジャー局及びペイジャー自体、トランク通信システム、移動体電話等を含む携帯通信用の広範囲な様相の装置も忘れられていない。

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最終更新日:2004/03/15

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