4.政治システムの進化と体制の安定性維持の展望

 こういうわけで、イラン・イスラム共和国の憲法体制は、西側代表民主主義とイスラム・シュラ(主要原理主義機構の長の会議)の原理の機構的混成である。このことは特に、全ての最高会議が 機能機構の長の集会であるが、この際、投票により選出される「賢人会議」により監督されるため、最高イスラム機関による世俗機関の重複ではなく、混成である。最高権力であるラフバルの地位は、実際の君主・救世主の地位に一致するが、この際、同会議により選出される。全国民的に選出される大統領は、ボスの代理人の指導下で会議に出席し、戦力機構に対する監督を有さない。民主主義を特徴とする住民の平均的意思と、イスラム・メリトクラシーたるシュラの2つの矛盾する原理の混成は、不可避的かつ急速に危機をもたらす。この最初の徴候は、シーア派聖職者階級の各種集団間の妥協の産物となった現ラフバル、アリ・ハメネイの選出だった。彼は、若干のイラン人の表現によれば、アヤトラ-アル-ウズマ(「大アヤトラ」)の称号すら有さなかったようである。

 イランの政治体制の変革のための資源を与え得るのは、同国経済の事後の転換である。当初、イランの再建政策の手本となったのは中国だったが、1997年のM.ハタミの大統領選出と共に、政治変革についても語られた。この際、その統治初期、ハタミは、憲法上の保証と自由について語ったが、2期目、「意思の自由を!」、「イランを全イラン人に!」のスローガンの下で活動する「イスラム参加戦線」から推薦されている。大統領は、シャリアート裁判所制度側からの自由の障害について公言している。欧州的な意味での政党は、国内に存在しないが、選挙で候補者に推薦した主要同盟者である「創造の奉仕者」と「イスラム参加戦線」は、各々ラフサンジャニ及びハタミの一族と関係している。これらの氏族は、経済の輸出指向部門に深く係わっているため、西側との今後の接近に関心を示している。有用性会議を指揮するラフサンジャニは、最高権力機関 を通して、「経済的に目的に適う」決定を行う機会を有する。

 米国の段階的制裁逸脱(既に今、イラン石油の25%は、何れにせよ、アメリカ企業を通して売却されている。)と、広範囲な資本誘致プログラムを考慮すれば、将来、イラン経済の原料部門への著しい外資の参入も予想される。現在のところ、製油所を除き、全石油複合体の民営化が予想されている。

 大きな対外投資は、通常、体制の西欧化(「民主化」)の形を前提とする政治的保証を不可避的に必要とする。石油・ガス・ビジネスと密接に関係したイスラム集成主義者が、自分の利益において「民主化」プロセスを利用しない と想像する根拠はない。現時点において、イラン・イスラム共和国と共に、国際社会にまだ未承認の世界最初の集成主義者国家(この種の2つ目の国家に等しいのは、チェチェン・ダゲスタン国である。)、アフガニスタン・イスラム国が現れている。

 蓄積された紛争の潜在性の実現の予想されるシナリオに、イラン・イスラム共和国の国家権力の戦力ブロックは、どの程度対応しているのか?

■ 西側の浸透に対するイラン・イスラム共和国の戦力機構の利用の展望

 現時点において、イラン・イスラム共和国への西側の影響力の浸透は、以下のものを通して行われている。

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非イスラム宗教結社

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聖職者階級に敵対的なインテリゲンチヤの「党」

 法保護機関の活動においては、急転回が認められている。例えば、1997〜1998年、キリスト教に改宗した約20人のムスリムが行方不明になり、1998年9月、ベハイト教徒(主として西側で活動する宗派)の地下「大学」参加者が逮捕されたが、1999年、国連の圧力の下、数人のベハイト教徒への判決が減刑され、死刑宣告者全員が特赦された。

 市民のシャリアート履行の強制に関する法保護機関の義務は、恐らく、限定的である。2000年のデータによれば、国民の4分の3は、一般に礼拝しておらず、テヘランにおける麻薬の需要は、1日5tに達し、売春婦の平均年齢は、30歳から22歳に下がった。後者の事実は、家族形成に絶望した女性ではなく、職業選択を 意識的に行う若い女性が街角に出ていることを証明している。

 最近イランを訪問した観察者は、イスラム原理主義から西側型のペルシャ民族主義への転回が、今、「ペルシャ語は、イスラム第2の言語」という命題に部分的に隠されているイラン・イスラム共和国の対外プロパガンダだけではなく、非常に様々な社会層の代表との交流にも認められることで一致している。例えば、「イマム・レザ」がクマを訪問した際、随行したムラーは、聖地のイスラム的意義よりも、数千年の文化について多く語った。

 軍代表も含むテヘランの世俗社会について言えば、そこで行われている会話の事情と内容は、2000年12月のドイツ での科学会議参加者へのシャリアート裁判所の判決を笑うべきものにしている(特に、その1人は、肘まで露にした手で踊った女性が在席する下で、発言を続けたことで告訴された。)。これを背景に、敵対集成主義者7人(その内、2人は政党 を率いていた。)の情報・保安省職員による殺害の特別調査委員会を設置するアリ・ハメネイの決定は、理に適っているように見える。それに引き続いた未詳の外国勢力との協力での起訴と、死刑を含む厳格な判決は、保安機関 で起こっている変化の性格に疑いを与えない訳にはいかない。

■集成主義者に対するイラン・イスラム共和国戦力機構の利用の展望

 現在、イラン・イスラム共和国があらゆる手段を尽くして集成主義者との紛争を回避していることが確認できる。集成主義者との協力は、レバノン、スーダン及びボスニアでの上記の協力に限定される。別種の事例は、驚くべき消極性が集成主義者の攻撃的な行動に対する回答となったアフガニスタン・イスラム国との紛争である。他の紛争事例は知られていない。この意味において、持株会社「メデイア・モスト」紙を通したテヘランが分離主義者側でチェチェン紛争に参加しているとの偽情報の集成主義者による流布に反応して、イランがプロパガンダ措置の実施を抑制しているのを指摘するのは興味深い。この際、イラン・イスラム共和国は、チェチェン紛争のロシア内政との承認に対して、他のイスラム世界では全く思いもよらない線を堅持し続けており、イランのマスメディアと公職者は、分離主義者をテロリストと呼んでいる。

 以前、イランは、全く受動的に、イスラム革命の輸出に対するいかなる要求もなく、ソ連崩壊を受け入れた。 集成主義者は、全主要言語の出版物を全ポスト・ソビエト空間に持ち込んだが、イランのシーア派は、イランに隣接する中央アジアですら、彼らとの競争を試みなかった。今まで、タジキスタンにおいてですら、イランからの文学の主力は、潜在的読者を質的に制限するアラビア文字で印刷されたファルシー語の本が構成している。タジキスタンでの内戦初期において、イラン・イスラム共和国は、普通の図式で「バーブ教徒」を支援していたが、後に、今に至るまで不断に続くチェチェンに関する今日の立場と同じ立場に移った。同じ政策は、キルギスとウズベキスタンの関係においても行われている。

 イラン・イスラム共和国の500万人のスンニー派少数派だけが集成主義プロパガンダに曝されたとしても、武力鎮圧方法は、情報・保安省が退廃したため、効果的に使用されないだろうが、イスラム革命防衛隊では、長年に渡る協力に基づき、集成主義者が一定の立場を有し得ると結論付けることができる。イランの民族主義活動家がイラン・イスラム共和国の同機構により排除又は殲滅されたため、 伝統的な現地指導者が集成主義者に対抗する試みは、恐らく不可能だろう。集成主義者の破壊活動にとって最大の展望は、その主力がパキスタンとアフガニスタン に居住するベルージ人中にある。シーア派住民に対する集成主義の流布の場合、イランの国家自体が脅威に曝される。

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最終更新日:2003/08/24

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