ハジ・ハメネイ

 イラン・イスラム共和国指導者A.ハメネイの弟。1979年まで、反シャー闘争に積極的に参加し、数回服役した。イラン・イスラム共和国建国直後、厳格にイデオロギー的に論拠のある政治方針の実施への忠誠を再三誇示した。1988年、より穏健な「戦うムラー協会」の創設も、「戦う聖職者協会」の分裂発議者の厳しい非難に晒された。後に自分の立場を変え、国家統制システムの段階的改革の支持者に加わった。1998年、「イマム路線信奉者連合」を設立した。1995年に司法権力機関の決定により閉鎖された大衆紙「ジャハン-エ・エスラム」(「イスラム世界」)の編集長だった。M.ハタミの選挙前キャンペーンに積極的に参加し、国内の各地を回り、金曜日の礼拝中の住民の前でのアジ演説を利用した。1997年の大統領選挙でのM.ハタミの勝利後、執行権力の長の顧問に任命された。「ジャハン-エ・エスラム」紙の発行を再開した。再三、政府の方針を支持した。クム市でのH.ハメネイの演説は、青年過激派のメンバーにより台無しにされ、演説者自身は負傷した。H.ハメネイは、イラン社会の改革支持者中で広い人気を獲得し、このことは、広範囲な扇動キャンペーンを実施することすらなしに、2000年の議会選挙で著しい票数を得ることを可能にした。政府の方針の敵の発議により、2000年後半、20社以上のマスコミ出版社が閉鎖された後、H.ハメネイは、現在、非国営日刊紙で最大の発行部数を有する「ヘイアト-エ・ノウ」(「新生活」)紙を設立した。

 このようにして、H.ハメネイは、M.ハタミ政府の方針を支持する著名な政治活動家である。彼は、都市住民の教育層代表、青年及び学生中で広い人気を得ている。

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最終更新日:2004/03/15

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