サイード・ハジャリーアン

 M.ハタミの側近の1人。1989年まで、情報(保安)次官だった。H.ラフサンジャニ政府に入ったA.ファッラヒヤンの情報相任命後、ポストを離れ、イラン・イスラム共和国外務省附属戦略研究センターに移らざるを得なかった。

 1997年初めから、M.ハタミの選挙対策本部の活動に積極的に参加し、扇動キャンペーン戦略の立案を担当した。1997年7月、大統領顧問に任命された。1999年、テヘラン市イスラム会議の構成員に入った。「ソブフ-エ・エムルズ」(「今朝」)紙を設立し、その編集長となった。自由主義社会・政治活動家の一連の暗殺に関する調査記事を主導した。M.ハタミ政府の立場の強化のため、情報省高官の当犯罪への関与の事実の利用に、全努力を傾けた。

 1999年3月12日、S.ハジャリーアンに対して、暗殺未遂が実行され、その結果、重傷を負った。当犯罪は、国内外のプレス上で広い反響を見出し、国民中のS.ハジャリーアンの個人的人気の急成長をもたらした。

 このようにして、S.ハジャリーアンは、イランの改革運動の著名な理論家の1人で、M.ハタミの側近である。ドイツでリハビリ治療を受け、彼は、現在、活発な政治活動に徐々に復帰している。

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最終更新日:2004/03/15

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