ファエゼ・ハシェミ

 元イラン・イスラム共和国大統領H.ラフサンジャニの娘。1992年に活発な社会・政治活動を始めた。1996年、テヘラン管区でN.ヌリに次ぐ最大の票数を集め、第5期議会代議員に選出された。

 1997年の大統領選の勝利後、M.ハタミは、再三政府支持に立った。大衆紙「ザン」(「女性」)を設立し、その編集長となった。A.ヌリとA.モハジェラニの2人の閣僚が青年過激派「ヒズボラ」構成員側から攻撃を受けた事件の調査記事を主導した。当犯罪への関与における秩序警備軍副司令官M.ハグディの非難を含む資料を公表した。その主要な証人となったのは、後にテヘラン市イスラム会議代議員に選出されたアリレザ・タバタバイだった。F.ハシェミに対して、未確認情報の流布の嫌疑で、刑事事件が起訴された。しかしながら、審理は、司法機関の決定による「ザン」紙の閉鎖と関連して、最後まで行かなかった。当措置は、イランの元シャーの妻とのインタビュー掲載後に採られた。

 1996年の議会選挙前日、F.ハシェミは、モハマッド・ハシェミと同様に、メジリス議長の椅子を占めようとしたH.ラフサンジャニの支持に立った。しかしながら、元大統領に対して向けられた改革プロセス加速の支持者により展開されたキャンペーンは、F.ハシェミも含めて、その親族全員の人気に害を与えた。当キャンペーンの組織者の1人となったのは、S.ハジャリーアンだった。彼が率いる「ソブフ-エ・エムルズ」紙には、F.ハシェミが大統領M.ハタミと内務相A.ヌリの行動を非難した創作従事者党指導部の秘密会議の資料が公表された。その外、S.ハジャリーアンの圧力の下、改革派出版マスコミ代表が支持する代議員立候補者のリストには、H.ラフサンジャニだけではなく、F.ハシェミも含まれなかった。投票の結果、彼女は、当選に必要な票数を集められなかった。

 現在、F.ハシェミは、社会・政治活動に従事し続けているが、国家権力機関でいかなるポストも占めていない。彼女の今後の運命は、イラン・イスラム共和国最高指導部において予想される勢力バランスの変化と直結している。

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最終更新日:2004/03/15

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