コラムホセイン・カルバスチ

 80年代後半、イスファガン州知事職を占めていた。1990年、H.ラフサンジャニの発議により、テヘラン市長のポストに任命された。大統領の支持を得て、首都整備に向けられた活動を急激に活発化させた。大建設会社に追加の税を導入し、それからの収入は、市内の貧民街の緑化に使用された。現大統領への絶対的忠誠を誇示しつつ、自分の立場を著しく強化した。

 1994年、創作従事者党の設立者の1人となり、後に書記長となった。H.ラフサンジャニの政敵は、1996年 、市長のポストでのK.カルバスチの活動の調査を主導した。これは、大統領選でのM.ハタミの勝利後に活発化し、1998年、裁判所への刑事事件の移管で終わった。テヘラン市長に対する予防措置として、拘留が選ばれた。しかしながら、内務相A.ヌリの干渉の結果、K.カルバスチは、保釈金の下で釈放された。テヘラン市役所指導部の汚職嫌疑に関する訴訟は、国営テレビ放送で生放送され、国内外で広い反響を引き起こした。元テヘラン市長は、禁固2年を言い渡された。

 1999年末〜2000年初め、議会選挙前、改革支持者陣営において、最高国家指導部における自分の立場を保持しようとするH.ラフサンジャニと彼の近親族の希求により引き起こされた対立が先鋭化した。相違は、創作従事者党にも及び、事実上、2つの対立派閥が形成された。生起した条件下において、K.カルバスチの影響力を自分のために使用することを当てにしたH.ラフサンジャニは、裏工作により、彼の期限前釈放を勝ち取った。しかしながら、この措置は、所望の目的を達成しなかった。改革指向の社会・政治運動中において相応の地位を占めようとする創作従事者党指導部の試みは、成功を収めなかった。これは、多くの場合、創作従事者党と結び付いたH.ラフサンジャニの個人的人気水準の低下によりもたらされた。

 現在、K.カルバスチは、自分の支持者の結集と新しい条件に応える政治路線の立案に関する措置を採り続けている。国民中の人気の顕著な低下にも拘らず、実用主義的な中道方針の支持者は、失われた立場の回復と自分の影響力の拡大への一定のチャンスを有している。

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最終更新日:2004/03/15

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