モスタファ・タジザデ

 現大統領の政治方針の徹底した支持者。M.ハタミが文化・イスラム理解相だった期間、国際問題担当次官のポストを占めていた。1992年、退任せざるを得なかった。テヘラン大学国際法学部において、科学研究及び教育活動に従事した。イスラム革命ムジャヒディン機構指導会議に入っている。

 1997年の新政府組閣中、M.ハタミは、自分の選択による一連の重要官庁の次官任命を主張した。内務省において、そのような人物になったのがM.タジザデだった。特に彼は、事実上全州の知事の更迭に関するM.ハタミの発議の実現を保障した。

 政治問題担当内務次官となったM.タジザデは、全国民選挙の組織及び実施を担当した。圧力にも拘らず、彼は、内政舞台における親政府勢力の利益を首尾一貫して擁護した。地方権力機関(1999年)及び議会(2000年)の選挙中における改革派の圧倒的勝利は、多くの場合、タジザデの活動によりもたらされた。その外、彼は、テヘラン、ホラマバードその他の都市の学生組織の行動を公然と支持した。2001年初め、A.ムサヴィ・ラリは、彼を大統領選挙準備及び実施の責任者に任命した。保守政治活動家は、内務相の当決定を激しく非難し、司法権力機関における影響力を利用して、M.タジザデに対して刑事事件を告訴した。記録的短期間で行われた審理の結果、彼には、禁錮1年、6年間選挙監視に参加し、3年間公職に従事する権利の剥奪を規定する判決が下された。

 彼の有罪判決と大統領選挙の準備及び実施への参加からの離脱の原因となったM.タジザデの原則的立場は、特にインテリゲンチヤ及び学生中において、元内務次官の個人的人気の成長をもたらした。A.ヌリと並んで、彼は、社会・政治活動に復帰し、イランの改革運動指導者中で重要な地位を占める現実的チャンスを有している。

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最終更新日:2004/03/15

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