イラクの情報機関

イラク軍  東洋国家の際立った特徴の1つは、強力かつ包括的な政治機構の存在である。そのような国内機構の伝統は、古代アッシリア及びバビロニアの君主により築かれ、サダムにより続けられている。しかしながら、今日、イラクの特務機関は、その通常の任務の遂行に従事しているだけではなく、来るべき戦争と、その後に起こることへの集中的な備えをしている。

■システム

 イラク特務機関の歴史の始まりは、英国の統治時代に遡るにも拘らず、現在の形においては、サダム・フセインの創作物である。特に1973年から1989年まで、ソ連KGBが独自の役割を演じた。その結果、各部署の相互競争、頻繁な「粛清」及び戦争の結果にも拘らず、1991年, イラクの保安システムは、近東で最も能力のあるものの1つとして留まっている。これは、5大特務機関から成る。その外、情報の秘密収集の権利を有する少なくとも更に3個機関と、4個エリート軍事部隊が存在する。

 「アル-ムハバラート・アル-イラキア」と称されるイラク情報共同体の全活動は、国家安全保障会議により組織される。会議は、後継者と考えられている大統領の下の息子、36歳のクサイ・フセインが指揮している。

イラクの情報共同体

■クサイ

 情報共同体では、競争精神が植え付けられている。特務機関の責任分野は、しばしば、互いに重なっている。それ故、指導部は、その活動を調整しようとしている。このために、国家安全保障会議が利用される。しかしながら、この機関は、むしろ、会議の役割を演じている。最も重要な全ての決定は、クサイと最も信頼できる狭い層の側近の参加の下、サダム・フセイン個人により採択される。息子の立場は、彼が同時に特殊保安庁、共和国親衛隊及び特別共和国親衛隊の3つの重要組織の指導者である事情が特に強化している。その外、クサイは、国内軍事産業を指揮している。

■国家安全保障会議(「マクタブ・アル-アムン・アル-カヴミ」)

 イラク情報共同体の最高調整機関である国家安全保障会議は、主要特務機関(特殊保安庁、総合保安庁、総合情報庁、軍事情報部)の指導者、並びに大統領宮殿局長から成る。軍は、ナマク・イスマイル将軍が代表する。しかし、モスール出身の将軍は、ティクリートの同僚ほど影響力はない。国家安全保障会議は、S.フセインが議長を務めるが、会議には、通常、彼の息子クサイが現れる。彼らは、1週間に1回以上、大統領宮殿に召集される。会議では、国家安全保障、サウジアラビア、ヨルダン、シリア、トルコその他の国とイラクの二国間関係、並びに国内安定の保障の際のイラク特務機関の省庁間協力の問題が審議される。

 実際、特に国家安全保障会議の最近の業務方針は、全くお話にならない。競争し、互いに信頼していない特務機関の行動は、ほとんど協調されていない。問題は、同僚の失敗を期待した特殊作戦実施の際の「隣の」官庁側からのサボタージュにまで達する。特務機関は、国家安全保障会議内での業務接触を避けつつ、入手した情報を互いに共有していない。この際、特務機関の活動は、国家安全保障会議ではなく、特にフセインに近い者達が狭い層で集まり、より重要な影響力を有する大統領宮殿局が評価する。彼らの参加により、情報共同体の指導の最重要問題も解決される。そのような非公式権威の中では、機構内のゲームで鍛えられたアブド・ハミド・マフムドが挙げられる。特に彼を通して、特務機関から「第一人者」宛に入ってくる全ての文書が流れる。彼は、適切な宛先に精通し、報告秩序とその予想される決定を決める。具体的な作戦の準備及び実施に対する任務付与の際、大統領とその息子は、通常、国家安全保障会議を迂回して、直接行動する。しかし、会議の下には、クーデター失敗後の1996年夏の軍及び特務機関における人事粛清の実施の際、顕著な役割を演じたある特別委員会も存在する。

 国家安全保障会議の下、大統領宮殿複合体において、統合作戦センターが活動している。ここには、バグダッドの作戦情況の監督のための近代的な計算機、ネットワーク設備、通信及び集中表示手段を使用する特殊保安庁要員が勤務している。首都の何れかの地区において非常事態が発生した際、ここには、総合保安庁の緊急対応旅団、軍事情報部の緊急対応大隊及び保安保障大隊、特殊共和国親衛隊の緊急対応旅団 への指示が入る。統合作戦センターは、国民の大部分のデータを保管しているバグダッドのマンスル地区の情報総局のデータベースと接続している。類似の自動化記録は、内務省において組織されている。センターとその通信員のための強力なコンピュータ、ネットワーク設備及び端末は、国連が導入した制限を迂回して、昨年初め、ヨルダン領土を経由して、イラクに非合法に搬入された。

■総合情報庁(「ジハズ・アル-ムハバラート・アル-アンマ」)

 総合情報庁は、アラブ復興社会党、つまりバース党の秘密機構の後身である。この党機構は、1964〜1966年にサダム・フセインにより創設された。秘密機構は、党の権力奪取を可能にし、後に、フセインがバース党と全国に対する監督を確立することを可能にした。このようにして、イラクのリーダーは、その体制の長寿だけではなく、権力もこの特務機関に負っている。1973年、この機構に基づき、党機関としても、特殊機関としての機能も維持したまま、総合情報庁が現れた。当時、職員の職業水準が急激に向上したが、これはKGBの援助が可能にした。80年代、総合情報 庁における多くの指導ポストは、ソ連又はソビエト人教官の下祖国で教育を受けた将校が占めた。例えば、ソビエト連邦で教授の地位を得、1983〜1989年 に総合情報庁を指揮したファドヒル・アル-バラク博士である。この特務機関の指導者の運命は、何れにせよ、ソ連又は現ロシアと関連している。 この関連において最も不可解と考えられているのは、90年代末に総合情報庁長官となった大統領の従兄弟リファー・アト-ティクリーチの経緯である。1999年10月、彼は、解任のわずか1週間後に、非常に不可解な事情の下で死亡し、アラブ筋によれば、リファー・アト-ティクリーチは、近代的な装甲車両及び防空システム装置のバグダッド納入に関するイラク・ロシア間の秘密契約の署名についての情報漏洩を防止できなかったことに対して、大統領の命令により排除された。

 今日、総合情報庁は、他の特務機関も監督するイラクの最も影響力のある特務機関である。総合情報庁は、国内外の敵対派に対する作戦も行っている。国の北部、南部及び隣接国における反米活動に特別の注意を払っている。特に総合情報庁が1993年のクウェートでの大ブッシュの暗殺準備の背後に立ち、3年後のイラク北部でのCIAの工作阻止に関与したと考えられている。その外、当特務機関は、東アラブ、アフリカ及び西欧諸国、並びにトルコ、イラン、米国、オーストラリア及びニュージーランドにエージェント網を有している。

 同機構の職員は、約8,000人を数える。その長官は、1999年10月から、タヒル・アブド・アル-ジャリリ・アル-ハッブシ中将である。

■総合保安庁

 1921年に創設された総合保安庁は、イラクの最古の特務機関である。バース党の統治初期、その主要活動は、共産主義者、クルド人及びモサドに向けられた。70〜80年代、サダム・フセインは、これを個人的に従属させ、職員の職業水準を著しく向上させ、総合保安庁を再編した。この場合、再びKGBなしでは済まなかった。ソビエト諜報部は、総合保安庁職員の訓練だけではなく、その技術再装備にも従事した。

 今日、当機構は、先ず第1に、国内政治諜報機能を遂行している。このために、庁は、膨大な情報提供者網を活動させ、技術諜報に従事している。総合保安庁職員は、約8,000人を数える。その長官は、ラフィ・アブド・アル-ラチフ・タルファフである。

■特殊保安庁(「ジハズ・アル-ヒマイア・アル-ハズ・アル-アムン」(アル-ハズ))

 特殊保安庁は、1982年にフセイン大統領の娘婿カメリ・ハサンにより創設された特権的な機構であり、彼は、13年後、自分の弟と共にアンマンに逃亡したが、バグダッド帰還により、反逆者と宣告され、処刑された。特殊保安庁は、何よりも、国家第一人者、並びに政府及び戦略施設の安全の保障に従事している。この機構は、敵対機運及び反政府活動の徴候の摘発のために、他の特務機関、軍及び省庁を監督している。同時に、特殊保安 庁は、武器購入に関する極秘取引を実施し、並びにイラク石油の密輸に参加している。ちなみに、80年代、この特務機関は、イラクで働いていたKGB職員に対して取引を行った。当機構の総員数は、5,000人に達する。1992年から、特殊保安庁は、クサイ・フセインが指揮している。

■軍事情報部(「アル-イスチフバラート・アル-アスカリーアル」)

 軍事情報部は、1932年に設立された。80年代、総局は、国防省の従属下から外され、大統領の個人的監督下に移った。 イラク国内において、軍事情報部は、シーア派及びクルド人敵対派の隊列にエージェント網を活動させ、並びに全沿国境地区を監督している。その外、この機構は、軍部の動向を追跡し、最重要軍事施設の警備を提供する。しかし、軍事情報部の主要活動は、外国に向けられている。諜報の外、この特務機関は、特に国外のイラク反体制派に対する破壊工作・テロ作戦を行っている。軍事情報部は、隣接国、並びにパレスチナ、レバノン、エジプト、イエメン及びスーダンにおいて、最も堅固な立場を占めている。部は、スカンジナビア諸国(特にスウェーデン)、ドイツ、フランス及び英国、並びに一連の東欧諸国(特に、チェコ及びユーゴスラビア)及び米国北東部における長年に渡る業務経験を有する。伝統的に、軍事情報部は、ロシアとベラルーシの軍及び軍産複合体の代表と堅固な関係を結んでいる。全体として、軍事情報部の機構は、約6,000人の職員を数える。

■軍事保安局(「ムジリーアト・アル-アムン・アル-アンマ」)

 軍事保安局は、軍事情報総局内査課に基づき、1992年に編成された。当機構は、法律違反及び敵対機運の摘発のために、軍に対する監督を実施する。軍事保安局の構成下には、少数だが、非常に機動的かつ申し分なく装備された特殊軍事部隊が存在する。

■プロジェクト・アル-ハージ(プロジェクト858)

 「プロジェクト・アル-ハ ージ」、又は「プロジェクト858」と称される官庁は、世間に余り知られていない。これは、無線及び電波技術諜報に従事している。本部庁舎は、バグダッド北方20kmのアル-ラジディア市に位置する。その外、イラクの他の地区には、隣接国領土の無線電子手段の放射を監視する5ヶ所の電子情報所が展開している。大きな困難を伴って創設された技術基盤は、特務機関にとって強力な統合要素となった。統一の情報共同体の枠内において、全関連機関のための技術諜報手段の使用が整備できた。つまり、1995年末から、全ての国際電話会話は、アル-ラジディアの複合技術監視拠点を通して盗聴されている。衛星通信を通して実施される会話は、「プロジェクト・アル-ハ ージ」の無線・電波技術情報センターにより傍受される。

戦闘準備

 昨年8月末から、 この巨大で、良く整備された機構の活動は、何れにせよ、予期されるアメリカの作戦と関連している。ある機構は、敵の計画を最大限に破るための全てのことを行い、ある機構は、その撃退を準備し、若干の者は、サダム・フセインが打倒された場合、バース党の「死後の生活」のための基盤を作っている。事実上、全ての措置は、クサイ・フセインが個人的に監督している。

 インドネシア及びレバノンの銀行への予備資金の配置は、クサイに忠実な総合情報庁と特殊保安庁の職員が担当している。米領土には、行動命令を待ちつつ、特殊部隊「ク-ウアト999」の密使が既に存在している。数百人の総合情報庁職員が、新しい文書と変化した外見と共に非合法状態に移っている。

 同時に、総合情報庁と軍事情報部は、米国を支持する地域諸国の情勢を不安定化させようとしている。軍事情報 部は、イラクに対する戦争への隣接するアラブ諸国の秘密準備に関する情報収集に成功した。つまり、例えば、9月末、クサイは、クウェート内務相ムハメッド・アス-サバフ及び国家安全保障問題担当書記マシャリ・アル-ジャッラフとヨルダン総合情報庁長官サード・アル-ヒルの交渉の秘密議定書を入手した。

 同時に、バグダッドは、あらゆる手段を持って、米国及びイスラエルとの戦いにおけるシリア及びイランとの協力を取り付けようとしている。このために、昨年夏、クサイは、テヘランを秘密訪問し、イラン情報・保安省の指導部と交渉を行った。この際、特殊保安 庁と軍事情報部は、シリアの同僚の支援に支えられ、国外で武器を集中的に購入し続けている。そのような積荷が、今月、イタリアのスペチア港で発見され、チェコの同僚は、他のいくつかの積荷について伝えた。

 この際、アメリカ人が勝利した場合ですら、イラクの巨大な保安システム機構全体を破壊することはできないだろう。1945年のSSと同様、主要人物は、戦いを続けるために、アメリカの最初のコマンドのバグダッド出現と共に跡形もなく姿を暗ますあらゆるチャンスを有している。

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最終更新日:2004/03/15

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