エゴズ大隊

第621部隊

「エゴズ」のエンブレム

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■「Egoz」大隊とその任務

演習中 陸軍特殊大隊「サイエレット・エゴズ」は、正確な創設日を有さない。その種の部隊は、様々な時期に創設された。その外、同じ名前を有する部隊は、以前にもイスラエル軍に存在したが、前世紀の70年代中盤に解散された。ロシアの特殊任務を有する部隊と比較すれば、任務に関して、GRUのスペツナズ支隊と比較できる。しかし、イスラエル部隊の訓練水準の方が高い。

 大隊の主任務は、敵領土での挺進行動の実施である。長い間、この領土とは、レバノンであった。

 しかし、イスラエル軍がレバノンからアラファトのテロリストを追放した1982年、その直前、分離主義者の小グループのゲリラ行動問題が生起した。彼らは、待ち伏せを組織し、自動車縦隊を攻撃し、道路に地雷を敷設した。この全ては、チェチェンの現状を非常に想起させる。レバノンで初めて、少し小さな領域が分離主義者のグループの行動に支配された。

 最良の行動は抵抗で、最良の防御は攻撃であることが知られている。特に、ゲリラ対策のために、「EGOZ」大隊が方針転換された。

■充足及び選抜

 伝統的に、「サイエレット・マトカル」、コマンド・イアミのようなエリート特殊部隊、並びに「ゴラニ」歩兵旅団の特殊部隊から兵士が集められた。彼ら全員は、高い訓練水準にも拘らず、教育センターに送られ、6ヶ月間訓練を受けた。

 後に、司令部は、充足の原則を変えることに決めた。充足は、混成となった。大隊には、召集年齢の若者達が集められ始めた。また、大隊には、他の陸軍特殊部隊の偵察兵も集められた。

 イスラエル軍で採用されたプログラムに従い、最初の6ヶ月間、候補者は、「若年兵課程」を受ける。この課程中、未来の特殊部隊員は、武器とその操作手順を習う。また、課程中、兵士は、15から30kgの装備を持った長距離強行軍、各種難度の障害克服等、各種身体的負荷を克服しなければならない。課程の終わりに、候補者には、地形克服に関する80kmの強行軍の実行という最終試験が控えている。課程と試験中に、通常、候補者の約30%が淘汰される。

■訓練

90年代末:南レバノンでの作戦前の「胡桃」 この後、隊列に残った者は、教育センター「BEITASEFERLEGERILIYA」に送られた。ここで、兵士達は、敵が支配する領土における対ゲリラ戦での破壊工作及び偵察行動の実施プログラムにより教育を受けた。彼らは、偽装手順を習い、敵領土への各種浸透方法を処理し、その縦深偵察及び「緑」に隠れたテロリストの撃滅を教育された。地雷・破壊業務を習った。3週間、彼らは、パラシュート降下訓練を習い、パラシュート降下を実習した。課程の終わりに、いわゆる「地獄の週」が行われた。元「EGOZ」兵士の話によれば、この1週間、彼らは、事実上眠れず、常に体力を消耗させる強行軍を実行し、事実上防護手段なしに、フルコンタクトでスパーリングを交わした。夜2時に、「負傷した」戦友を担架なしに背負いながら、水上障害を克服させられた。しかし、教育プログラムは、これで終わらない。個人訓練課程後、グループ戦闘が開始される。兵士達は、連携して働くことを習う。同時に、彼らは、レバノンの地形に似た森林・山岳・沼沢地形での行動を習う。この課程卒業後初めて、兵士は、特殊部隊員とみなされる。それにも拘らず、彼らの訓練は、これでも終わらない。兵士は、各種軍事特技を獲得し、狙撃、偵察、工兵課程により専門化される。多くの将校は、「レンジャー」及び「グリーン・ベレー」プログラムによる訓練を受けるために、アメリカの基地に3ヶ月間送られる。

■戦闘業務

 完全な教育課程終了後初めて、特殊部隊員は、自部隊の編成において、レバノン国境に派遣され、そこから、各種偵察及び特殊任務の遂行のために、その領内に投入される。しばしば、彼らは、「サイエレット・マトカル」の兵士と共同で行動する。

 1985年4月、シリア参謀本部の将校2人が誘拐された。しばらく後に、彼らはシリアに戻された。イスラエル軍の他部隊の兵士が挙げているように、これが「森の戦士」の手によるものであるという信頼すべき情報が存在する。

 1989年1月、「Egoz」兵士は、シリア特殊部隊との衝突の結果、2人が戦死し、5人が負傷した。シリア兵は、同戦闘で、4人を失った。ちなみに、これがレバノン領土だったにも拘らず、そこでは、ソビエト人将校が訓練したシリア兵が行動していた。非常に良く訓練されていた。特に、シリア特殊部隊の訓練水準は、 彼らの努力のおかげで、70年代と比較して非常に顕著に成長した。

 「Egoz」大隊の最も有名な作戦と考えられるのは、ヒズボラ指導者の息子アジ・ナスラッリ(ナスラッラフ)の除去と考えられる。「Egoz」偵察兵12人と「ゴラニ」特殊部隊員8人は、待ち伏せを組織し、その結果、ナスラッリが殺され、更に2人のヒズボラ戦闘員が死亡した。特殊部隊員達は、誰を殺したかすら知らなかった。しかし、ここでは、アメリカ諜報部が非常に機動的に働いた。ナスラッリが死亡したという情報は、待ち伏せ実施の1時間後に得られた。「Egoz」兵士は、再び現場に戻り、接近した戦闘員からナスラッリの遺体を取り戻した。到着したヘリは、死亡したテロリストの死体と共に、彼らを救出した。

 事後、遺体は、戦死したイスラエル兵の遺体と交換された。

■「胡桃」は、自分の時を待つ。

 これは、「Egoz」大隊が1982年から1999年までに行ったことの一部でしかない。17年間に渡って、成功も、損害もあった。戦争の代価とは、そういうものである。イスラエル軍のレバノン撤退後、大隊は、解散を望まれたが、結局、独立大隊として「ゴラニ」旅団に統合された。大隊は、インティファーダ対策に参加すらした。

 今、レバノン−イスラエル国境の急激に先鋭化する情勢と関連して、「硬い胡桃」が必ず思い出されるだろう。というのは、全員がゲリラと戦えるには程遠いからである。

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最終更新日:2004/04/23

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