秘密機関の苦難の日々

独立軍事評論、2000年9月8日

■イスラエル特務機関の管理者は、国外エージェント活動の安全をほとんど心配していない。

 その活動の歴史に渡って、イスラエルの秘密機関「モサド」は、数千もの秘密作戦を実施した。例えば、ヨゼフ・スターリンの犯罪に関するソ連共産党第20回会議へのニキータ・フルシチョフの報告のコピーを入手し、1965年にソビエト製MiG-21機で自国から逃亡したイラク人飛行士を上手く「工作」し、ナチス犯罪者アドルフ・アイヒマンをアルゼンチンで誘拐し、イスラエルの非合法エージェント、エリ・コーエンをシリアの支配者層に浸透させた。

 しかしながら、「モサド」には、崩壊がしばしばあった。失敗の簡単なリストを紹介する。

 1973年夏のテロリスト撃滅を目的とした作戦。イスラエルのエージェントは、ノルウェーの保養都市において、大変不得要領に行動した。彼らは、その人物を殺せなかっただけではなく、ノルウェー警察の手に落ちた。

 リビア機の誤認による撃墜。原因は、パレスチナ指導者の搭乗に関する不正確な情報である。

 レバノンの泥沼へのイスラエル国家のはまり込み。これは、同盟者としてのレバノンのキリスト教徒の信頼性に関する誤った情報を得たことにより起こった。

 1990年の「モサド」に関するヴィクトル・オストロフスキーの本のカナダ及び米国における出版を差し止めようと試みた奇妙な決定。数百万のもの人々は、イスラエル諜報部が、著者だった職員による本の出版を防止しようとしたのを見て、それが出版されたとき、それを買いに走った。

 英国における電話ボックスでの偽造英国パスポートの紛失及びパレスチナ人エージェントの徴募の失敗。2つの崩壊は、長期間の英国との関係冷却化をもたらした。

 1991年のニコシアでの4人の「モサド」エージェントの逮捕。当時、彼らは、イラン大使館の電話線への接続を試みていた。恥ずべき状況は、イスラエル人がたった1人の老警官に逮捕されたことにもあり、彼は、この事件のおかげで、勤務20年後、遂に昇進を果たした。同じキプロスにおいて、1998年11月、トルコのために活動していた更に2人の「モサド」エージェントが現行犯で逮捕された。

 そして、最後に、イスラエルに友好的なスイスでの「モサド」エージェントの崩壊。これは、諜報機関の長ダニ・ヤトムの更迭をもたらした。

 最後の崩壊については、詳細を語るべきである。

 1998年2月17日、航空会社「エル・アル」の定期便で、5人の「モサド」職員がスイスに到着した。2月19日夜、彼らは、外国の外交官が住んでいるベルン郊外の家屋の1つで、現地警察により拘束された。

 2人のエージェントは、外におり、3人は、イラン代表に属するアパートから行われた電話会話を盗聴及び録音していた。別の説によれば、このアパートには、親イラン過激派「ヒズボラ」と密接に関連するスイス人が住んでいた。同夜、眠れなかった住人の1人が、家の周りの不審者を見つけ、警察を呼んだ。

 しかしながら、逮捕された「モサド」のエージェントは、ロンドンの「タイムス」の続報によれば、電話会話の盗聴よりも重要な任務を有していた。何よりも、彼らは、ベルンで、「ヒズボラ」と関連した2人のビジネスマンを除去しなければならなかった。

 当紙は、自分のボスとの軋轢からこれを告白したブリュッセルの「モサド」支局職員から、この情報を記者が入手したと説明した。当インタビューを引用しつつ、「タイムス」は、逮捕されたエージェントの1人が、失敗したハレド・マシャリの暗殺に参加したことも報道した。

 除去されるはずだった者の1人は、南レバノンからの移住者であり、スイスに既に数年間居住している32歳のアブドラ・ゼインであった。「タイムス」の情報によれば、エージェントは、マシャリの除去に関する作戦で使用されたものと同じ毒を使用するつもりだった。

 ブリュッセル支局職員は、「スイス作戦」は元「モサド」長官ダニ・ヤトムが承認したと伝えた。ヨルダンにおける崩壊後、彼は、自分の名声、つまり、椅子を守ろうとした。

 イスラエルの特務機関は、1998年に隣国のレバノンにおいて重大な崩壊に遭った。当時、イスラエル軍諜報部「UNIT-504」職員により1995年に徴募された17人の現地市民が摘発及び逮捕された。

 スパイ情報に関する資料を、彼らは、イスラエル軍諜報部により借りられたアテネの私書箱に送った。エージェント活動への金銭報酬は、非常に高額だった。

 ベイルートの出版物の報道によれば、イスラエルのエージェント網の暴露は、その参加者の1人である、イスラエルにより支配される南レバノンの軍情報将校の「自首」の結果、起こった。彼の名前は、ラジャ・ヴァルドである。それにも関わらず、数人の専門家は、実際には、この将校がレバノン特務機関の二重スパイだったという考えに傾いている。彼らは、同じ「ダブル」の1人が、レバノンの国境近くの町にシーア派組織「アマル」の指導者の1人が隠れているという偽情報を「UNIT-504」に渡した1997年のスキャンダラスな事件との関連を想起した。彼の誘拐のために、イスラエル人は、特殊任務支隊を派遣したが、事前に準備された待ち伏せにおいてほぼ完全に撃滅された。

 レバノンの法令により、イスラエル特務機関のエージェントには、死刑の恐れがある。それと共に、被告の弁護士は、判決が軽減されると予想している。そのような前例は、1997年に存在しており、レバノン軍法会議は、87人から成る別のエージェント・グループの事件を審理し、懲役15年の判決を彼らに言い渡した。

 イスラエル特務機関の崩壊の原因を分析しつつ、多くの専門家は、イスラエルの政府及び情報共同体が、「1973年の自国の特務機関の崩壊から有益な教訓を引き出せなかった」という意見で一致している。当時、獲得された情報に精確な評価を与えるその分析官の無能力が明らかになった。エジプト及びシリアにおける軍事訓練の強化に関する情報が定期的に入ってきていたにも関わらず、「モサド」その他のイスラエル特務機関の指導部は、イスラエルに対する軍事攻撃は不可能であると確信していた。

 その外、諜報部では、イスラエルの安全保障のためには、特務機関が必要とみなす全てのことを行うべきであると確信した職員達が働き続けている。通常、彼らは、世界において形成された状況及び個々の国における諜報活動の条件を考慮することなく、刺激的な作戦実施の許可を受けつつ、政府層における「タカ派」の支持を見出していた。

 専門家の意見によれば、これらの作戦の実行者の無権限の外、その計画立案において重大な誤算が犯された。より具体的には、崩壊の可能性、従って、イスラエルの国家利益にとって否定的な政治的結果を無視していた。しかし、最も重要なのは、特務機関の管理者は、通常、国外エージェント活動の安全及び運命をほとんど心配していないことである・・・。

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最終更新日:2004/03/15

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