連絡局ナチフ

CIS・バルト諸国ユダヤ人共同体政府連絡局ナチフ

 旧ソ連領土で活動するイスラエルの諜報部。

 イスラエルの特務機関システムに含まれる。

 1954〜1955年、イスラエルにおいて、ソ連に対する諜報実施のため、モサドと同様に首相に直属する機密特務機関「ナチフ」が創設された。その機構は、計50〜60人を数えた。しかし、駐ソ連、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア等のイスラエル大使館及び領事館の「作戦要員」が、「ナチフ」のために働いていた。ナチフは、ソビエト連邦自体、並びにそれに敵対する「第三国」において、極秘エージェント作戦に従事していた。

 この外、1950年、イスラエル外務省に、特殊な「ロシア課」が現れ、少し後に、1914年生まれ、1943〜1944年に「スメルシュ」の通訳として勤務していたネヒミヤ・レバノンが指揮した。レバノンは「モサド」の大佐だと考えられていた。

 1957〜1958年、スターリン個人崇拝の不法性の暴露後、ロシア課は、「その国家政策の反ユダヤ主義」を口実に、ソ連の権威失墜に関する大規模作戦(30ヶ国以上で行われた。)の組織に参加した。1963年に全世界ユダヤ人会議の元指導者の1人、I.レイブラーが書いたところによれば、この行為の結果、一連の諸国とソ連の関係を緊張させただけではなく、フランス、イタリア、イスラエル等の共産党に分裂をもたらすことができた。

 1967年のソ連とイスラエル間の外交関係断絶後、外務省ロシア課(中央のオフィスでは、約30人が働いていた。)と「ナチフ」の作戦要員は、ルーマニア(周知の通り、中東紛争に関して「特別な立場」を有していた。)も含むいくつかの欧州諸国、並びにソ連においてイスラエルの利益を代表していた駐モスクワ・オランダ大使館に陣取った。1971年にソ連で短期間(2〜3ヶ月)、当初110〜170人がその中核を構成した民族「シオニズム」運動が発生したとき、KGBは、その構成員に目的指向を持って多くの元「ナチフ」エージェント及び「ロシア課」の情報提供者が編入されたと考えた。更に、後者は、有給職員でもあり、理想的なボランティアでもあった。

 公式な諜報と無関係なソ連に対する特殊作戦の実施のための機関(「ナチフ」と「ロシア課」)の創設は、最大限の効果の達成、諜報業務の特定方面における重複の回避の観点から、全く当然のものだった。

 1999年4月、ナチフの長年に渡る調整官ヤコヴ・ケドミが退任した。ケドミ氏の退任は、「ナチフ」の長が3ヶ月前にネタニヤフに送った書簡の公開後、イスラエルのマスコミで起こったスキャンダルのクライマックスとなった。ケドミは、ロシアからの帰還者の利益への背信で、首相を非難した。文書が選挙の3週間前にプレス上に現れたことは注目すべきである。

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最終更新日:2004/03/15

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