リビアの情報機関

ムアマル・カダフィ■軍事情報部(イスチフバラート・アル-アスカリヤ)

 2002年12月から、アブダッラ・サヌッシが指導している。前部長は、ジュマー・ビン・ニラン(Jumaabin Niran)大佐である。副部長は、ムスバハル・アル-アムルッシ(Musbahal Amrussi)大佐とアブドゥッラ・マフムド・ヒジャジ(Abdullah Mahmud Hijazi)である。

■ジャマヒリア秘密機構(ハヤート・アン・アル-ジャマハリヤ):同国の主要特務機関

 機構は、国内と国外の保安機関に分かれる。対外保安(諜報)は、外務次官として、ロッカビー事件で際立ったムサ・クサ(Musa Kusa)が指揮している。その外、ムサ・クサは、マファバとしても知られる、いわゆる「反帝国主義センター」を指揮している。センターは、テロリストの支援のために利用されている。

 アブドゥル・サラム・ザドマ(Abdul Salam Zadma)は、対外作戦・原理主義運動局を指揮している。国内保安は、総合保安・法務相モハメド・マウムド・アル-ヒジャジが指揮している。秘密機構のNo.2は、運輸相エッジディン・アル-インチリ(Ezzedin al Inchiri)で、No.3は、ある情報によれば、1994年12月のカイロでの元リビア外務相マフムド・キッヒア(Mahmud Kikkhia)の誘拐の組織の背後に立っていたスレイマン・アシリ(Suleiman Ashiri)である。

■革命委員会

 約50,000〜60,000人を数え、8地域局に分かれる。その指導者は、モハメド・アムサイド・アル-マグズブ・アル-カダフィ(Mohamed Amsaidal Magzubal Qadhafi)大尉である。

■保安大隊(カタエブ・アル-アムン)

 リビアの全大都市に配置されている。大隊は、故郷のシルタ(Sirta)の守備隊も指揮するハリファ・アフネイチェ(Khalifa Ahneiche)大佐が指導する。1995年から、彼は、以前軍事諜報を担当し、アフネチェのライバル、フアイルジ・フマイジ(Khuaildi Humaidi)大佐が指導していた武装委員会も指揮している。

■大隊長(都市毎):1995年のデータ

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ハッサン・エル-カッセフ(Hassan el Kasseh)大佐:トリポリ(Tripoli)

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シュアイブ・アル-ファルハニ(Shouaib al Farhani)大佐:セブハ(Sebha)

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アリ・カダフィ(Ali Qadhafi)大佐:トリポリのモハメド・アル-マグリフ兵舎。ムアマル・カダフィ自身の直接指揮下

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サイド・クエダト・アル-カダフィ(Said Oueydat al Qadhafi)大佐:ミサイル基地

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アブ・カッサム・アル-カンカ(Abu Kassam al Kanka)中佐:大統領親衛隊

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マスード・アブドゥル・ハフィズ(Massud Abdul Hafiz)大佐:空軍基地及び港湾

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アル-バッラニ・エシュカル(Al Barrani Eshkal)大佐:憲兵

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メヒ・アル-アラビ(Mehdi al Arabi)大佐:国境警察

■「ロッカビー事件」

テロ行為直後 1988年12月21日、スコットランド上空において、アメリカのPanAm社の飛行機が爆発した。爆発時、機上には、259人が乗っていた。ロンドンからニューヨークへのフライトを行っていたエアバスが、スコットランドのロッカビー市に墜落した。乗員及び乗客の外、ロッカビー自体の住民11人が死亡した。

 当初、 捜査は、「非リビア」の痕跡を掴んだ。ロッカビー事件の半年前、「勘違いした」アメリカの巡洋艦「ヴィンセンス」からのミサイルが、イランの旅客機を誤って撃墜した。ある情報によれば、その背後にシリアが立っているパレスチナ人から成る過激派が、実行者の役割に挙げられた。

 後に、リビア人、アブデルバセト・アリ-モフメド・アル-メグラヒとアル-アミン・カリフ・ヒムが捜査線上に現れた。

墜落直後の被害 米英は、10年以上、容疑者の引渡をカダフィ政府に求めていた。

 1992年、国連安全保障理事会は、リビアに制裁を科した。航空機の飛行の禁止と採油のための技術及び設備の調達の禁止が導入され、リビア石油の世界市場での売却が制限され、外国銀行のリビアの法人及び自然人の口座が凍結された。苦しい秘密交渉中に妥協が見出されて初めて、制裁が緩和され、1999年4月5日、被告は、旧キャンプ・ ゼイスト軍事基地(オランダ)に移送された。キャンプ・ゼイスト基地領域は、一時的に、スコットランドの管轄下に移管された。法廷には、陪審員の代わりに、4人 から成るスコットランド司法部会が席に着いた。約1,600人の証人が出廷した。

 2001年1月31日、キャンプ・ゼイスト基地領域に腰を据えたスコットランドの裁判官は、ロッカビー事件に関する判決を下した。アブデルバセト・アル-メグラヒは、有罪と認められ、終身刑を言い渡され、もう1人の被告、アル-アミン・ハリフ・ファヒムは、無罪となった。ロッカビー事件に関する審理は、結局、半年以上続いた。説は、リビア人のテロ行為関与から「イランの痕跡」(イランが1年前にアメリカの軍艦「ヴィンセンス」がイランの民間旅客機を撃墜したことに対する報復として、パレスチナ人過激派にテロ行為を「注文」したという)まで複数存在した。

 裁判所は、事件の次のような説を認めた。テロ行為の準備には、両リビア人が関与したが、特にメグラヒは、 爆弾の付いたテープレコーダーが入ったスーツケースをマルタ空港からフランクフルトに向かう飛行機の機内に入れた。フランクフルトにおいて、荷札の付いたスーツケースは、PanAm社の機内に運搬され、ロンドンのヒースロー空港を経由してニューヨークに 送られた。ヒースローからの離陸後、スコットランド上空で、1988年12月21日、爆発が起こった。

1995年にFBIと国務省が流布したリビア人2人の手配プラカード 同日、2001年1月31日、英政府は、判決について知り、乗客の親族への金銭補償の支払要求をリビアに提示した。英首相公式代表の表明によれば、司法決定は、「リビアの公務員がロッカビー上空での爆破の組織を可能にしたという以前からの疑いを確認した。我々は、リビア当局がこれらの者の行動に対して全責任を受け入れ、司法決定に従い賠償を支払うものと予想する」。 当時、裁判官の判決後、駐国連リビア代表は、彼の国が「悲劇にいかなる関係も有していない」と表明した。

 2月5日、リビアの反応が引き続いた。「我が指導者は、何を語るのか?」と、リビア紙の1つは書いた。「既に3日間、ジャーナリスト、人民、学生及び政治家は、この質問を繰り返している」。リビアの指導者ムアマル・カダフィは、ロッカビー事件に関する判決を否定した。「今日、我が指導者は、ロッカビー事件に関する判決を否定するのに十分な証拠を提示する」と、リビア紙の1つでは語られ、「 彼が既に以前に語ったように、裁判官には、真実を語るか、辞職するか又は自殺するかの3つの可能性しか残されていない」。

 1年後の2002年1月23日、オランダの旧軍事基地キャンプ・ゼイストにおいて、1年前にいわゆる「ロッカビー事件」で有罪と認められ、終身刑を言い渡されたリビア市民アブデル・バッセト・アル-メグラヒの控訴の審理が始まった。

 2002年5月29日、スコットランドのロッカビー村上空での爆発の結果死亡した人々の家族の利益を代表する弁護士は、リビアが飛行機の爆発の結果による各死亡者の親族に1千万ドルを支払うことを提案したと表明した。このようにして、支払総額は、27億ドルに達する。回答として、リビアは、国際制裁の取り消しを要求した。その上、国連の制裁解除後40%、米国の制裁解除後に更に40%、ワシントンがテロ支援国の「ブラック・リスト」からリビアを削除した後に残りという一定の支払条件が提示された。リビア代表と犠牲者家族を代表する弁護士間の交渉は、合衆国政府の参加なしに、秘密で行われた。米国務省は、弁護士の行動から距離を置くことを強調し、アメリカ当局の若干の代表は、非公式会談において、「スコットランド上空での航空機事故の死亡者の家族は、血塗られたリビアの金のために闘っている」とすら表明した。しかしながら、リビアは、同国政府が1988年の飛行機の爆発の結果死亡した人々の近親者に27億ドルの賠償を支払うつもりだという情報を公式に否定した。

判決時の法廷図 2002年8月、英外務次官マイク・オブライエンがリビアに到着した。これは、1984年に駐ロンドン・リビア大使館からの射撃により、婦人警官が死亡し、外交関係の断絶をもたらして以来、英高位外交官の初めてのトリポリ訪問だった。オブライエンとリビア指導者ムアマル・カダフィ間の交渉の主要テーマは、国際テロ対策だった。英外務省代表は、リビア・ジャマヒリアが西側諸国以上の敵である「アル-カイダ」組織に関する情報を得ることを当てにしている。更につい最近、ロンドンは、国際テロリズム幇助でカダフィを非難したが、今、オブライエンの表明によれば、英国は、この悪への対策において、リビア人により密接な協力を呼びかけている。両国間の外交関係は、1999年、国連がロッカビー事件の2人の容疑者引渡に同意したリビアに対する制裁を停止した後に回復した。アフリカ同盟の創設におけるカダフィの指導的役割も、ロンドンとトリポリの接近を可能にした(リビア・ジャマヒリアの封鎖継続は、黒い大陸の旧植民地と英国の関係に著しい損害を与えたはずだった。) 。

 2003年4月29日、リビアは、いわゆるロッカビー事件に関する民事責任の承認について公式表明した。テレビ・チャンネルSky Newsの報道によれば、リビア外務相アブデル・ラフマン・シャルハムは、航空事故の犠牲者270人の親族への支払総額が、10億ドル以上に達すると表明した。「我が国は、国際法の規定と、3月にロンドンにおいてリビア、米国及び英国代表者間で達成された合意に従い、ロッカビー事件と関連して、自国の公務員の行動に対して民事責任を受け入れる」と、リビア外務相は表明した。外務相は、リビアに対する制裁解除に応じて、支払いが段階的に行われると伝えた。第1段階においては国連の制裁が、第2段階においては米国の制裁が解除されるはずであり、最終段階において、米国は、テロ支援国のリストからリビアを外すはずである。

活動

 2000年2月、英国において、1986年2月のムアマル・カダフィに対する暗殺未遂への英特務機関の関与を巡るスキャンダルが起こった。当時、カダフィは 無事だったが、彼の側近とボディーガード6人が死亡した。元英防諜部МI5職員デービッド・シェイラーは、彼の情報によれば、暗殺準備に参加した英特務機関の現役職員2人の名前をObserver紙に伝えた。シェイラーは、英国政府が彼を告訴した訴訟に対する報復として、そのような一歩を踏み出したと、BBCは報道した。彼は、国家秘密の流布と職務ファイルの内容に対するMI5の著作権違反で起訴されている。「政府が私との闘いを始めることを欲しているならば、闘う用意がある」と、シェイラーは表明した。シェイラーに対する事件の起訴は、数日前、インターネット上に、英国政府へのMI6の秘密報告書が現れたことと関連している。文書は、一連の秘密印とコードСХ95/53452が付されていた。文書からは、МI6がカダフィの暗殺準備について周知し、陰謀者が英国製武器 を使用していたことが導かれる。カダフィ暗殺未遂への英特務機関の関与説は、2年前、特にデービッド・シェイラーが提起したことを想起すべきである。彼は、秘密機関МI6が カダフィ暗殺を目的とする陰謀の参加者のために、ジープ及び武器の調達に10万ポンド(16万ドル)を割り当てたことを知った。後に、英外務相ロビン・クックは、英特務機関が カダフィ暗殺未遂に関与していないと表明した。それにも拘らず、英議会安全保障・情報特別委員会は、インターネットに現れた文書の真偽の検査を含むこの経緯の調査を行う決定を採択した。

MI5のファイル 2000年4月16日、英特務機関は、英国におけるリビア情報機関の活動(Libyan Intelligence Service activity in the UK)に関する英防諜部MI5の秘密文書をネット上に掲載したいくつかのインターネット・サイトに対するキャンペーンを開始し、特に、そこには、駐ロンドン・リビア外交団職員の1人、ハリファ・アフマド・バゼリャ(Khalifa Ahmad Bazelya)に対する観察報告書が掲載された。当初、文書は、www.cryptome.org/のサイトに現れた。

 2002年春、リビアの統治者カダフィの監獄に、393人の子供にAIDSを感染させた看護婦5人と医師1人 がいることが分かった。被告は、発展途上国への援助提供使節団と共に、ブルガリアからやって来た。リビアの特務機関は、医師がCIAのエージェントで、その指示で行動していたと主張している。検察総庁は、スパイに対して死刑を求刑したが、彼らは、監獄で受けた拷問について話している。カダフィ自身は、公表を欲していない。事件の審理は、閉ざされたドアの下で行われ、 被告は、絞首台ではなく、檻の中に送られた。

 2002年9月5日、イスラエル首相アリエル・シャロンは、リビアが大量破壊兵器を保有するアラブ最初の国になり得ると表明した。「リビアは、我々の予想よりも遥かに危険な国になりつつある」と、彼はイスラエルのテレビのインタビューで語り、イスラエルがこの問題に関する情報収集を既に開始したと付け加えた。これが核、化学又は生物学兵器なのかというジャーナリストの質問に対して、シャロンは、「恐らく、最悪のもの」とだけ語った。また、彼は、北朝鮮、イラク及びパキスタンが新兵器の開発においてリビア大統領ムアマル・カダフィに協力していると表明した。シャロンの言葉によれば、開発は、サウジアラビアの金で行われている。シャロンは、自分の表明にいかなる証拠も提示しなかった。

 2002年10月13日、リビアのテレビのインタビューにおいて、リビアの独裁者ムアマル・カダフィの息子の1人、セイフ・アル-イスラムは、70年代末に故「テロリストNo.2」アブ・ニダルが住んでいた家の家宅捜索を行ったリビア特務機関が、3体の白骨を発見したと伝えた。白骨は、鑑定に引き渡された。しかしながら、今、リビア指導部は、これがレバノンのシーア派運動指導者サイエド・ムサ・アス-サドル師と彼の2人の側近のものであり得ると語っている。1978年夏、 トリポリからローマへの離陸後、不可解な事情の下、アス-サドル師が誘拐された。当時、レバノン政府は、当犯罪でリビアを非難し、政治危機の原因となり、両国間の外交関係の断絶をもたらした。

 2002年12月17日、リビア軍事情報部長に、フランスで民間エアバスDC-10機上での爆破の組織に対して終身刑を言い渡されたアブダラ・サヌッシ(Abdallah Sanussi)中佐(時折、Sennussi又はSenoussiと表記される。) が任命された。このニュースは、火曜日、ロンドンで発行されているアラブ語紙「アズ-ザマン」が報道した。パリ市裁判所は、1999年、欠席裁判において、1989年 のニジェール上空でのフランスの航空会社UTAのエアバス機上での爆破の組織に対して、大赦及び控訴の権利のない終身刑をサヌッシに言い渡した。時限爆弾の爆発の結果、170人の乗客及び搭乗員が死亡した。それにも拘らず、軍事情報部を指揮するまで、サヌッシは、ジャマヒリヤ秘密機構(Hayat Annal Jama-hariya)長官だった。

 2003年1月13日、カダフィは、Newsweekのインタビューにおいて、リビアの特務機関が米英諜報部と情報を交換しており、特に、米英に存在するリビア人テロリストに関する情報を提供していると表明した。カダフィの言葉によれば、テロ対策における西側特務機関とのそのような協力は、今後も継続されるだろう。リビアの指導者は、イスラム原理主義者全体と、特にテロ・ネットワーク「アル-カイダ」を含む過激派が、リビア、並びに彼自身にとって脅威であると表明した。カダフィの主張によれば、「アル-カイダ」のテロリストは、彼に対する数回の暗殺未遂に対して責任を負っている。

 大量破壊兵器を開発しているというリビア宛の非難について、カダフィは、彼の国がそのような武器を必要としておらず、そのようなプログラムの実現に十分な資金を有していないと表明した。カダフィの言葉によれば、リビアは、禁止された兵器の生産に係わる全ての国際協定に署名した。その外、国内では、国際原子力機構(IAEA)の査察官が常に活動している。Newsweekのインタビューにおいて、カダフィは、イラクを巡る状況もコメントした。「我々は、アメリカ大統領か、サダム・フセインか、どちらが大きな脅威なのか分からない」と、リビア指導者は表明した。彼はまた、リビアがフセインと彼の家族に庇護を提供できるとの報道を否定した。カダフィの意見によれば、何れにせよ、フセイン自身はイラクを離れることを欲していない。

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最終更新日:2052/09/07

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