軍事情報部

アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ

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 軍事情報部(アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ)は、最も秘匿されたパレスチナ特務機関の1つである。1993〜94年に編成された。この機構は、カイロ協定(1994年5月)でも、「オスロ-2」条約(1995年7月)でも言及されていない。「 アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」の定員は、他の多数のパレスチナ暫定自治政府の特務機関よりも著しく少なく、約600人である。軍事情報部は、ヤセル・アラファト体制の安定を脅かすパレスチナ暫定自治政府の政治集団の活動分野を追跡する。「 アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」は、ハマス、並びにファタハ及びパレスチナ特務機関の内部敵対派に特別の注意を払っている。1993年末から、軍事情報部職員は、アラファトに対して準備された一連の暗殺を摘発した。1993年 秋に成功した同特務機関の初期の作戦の1つが、最も有名だった。当時、アブ-ニダル(「ファタハ−革命会議」)とアフメド・ジブリル(「パレスチナ人民解放戦線総司令部」)の過激派と共同でイラン特務機関により準備されていたPLO指導者に対する暗殺計画が摘発された。この作戦は、「 アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」の現機構の形成過程を著しく加速させた。

 2年後の1995年11月、軍事情報部の作戦要員は、アラファト殺害のためにアルジェリアとリビアから来たパレスチナ人5人を逮捕した。彼ら全員は、アブ-ニダルの指示で行動していた。90年代後半、「 アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」指導部は、パレスチナ過激派(何よりも、イスラム教)の多くの指導者及び指揮官と秘密関係を確立した。この関係を利用して、軍事情報部部長は、イスラエルに対するテロ行為の「凍結」について、彼らと再三合意した。これは、テロ活動がパレスチナ暫定自治政府の利益に反する場合、優先して行われた。

 軍事情報部職員は、パレスチナ暫定自治政府の他の特務機関の違法行為の捜査にも従事している。この外、「 アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」の活動分野には、特に軍事性問題も含まれる。ある情報によれば、90年代中盤から、軍事情報部職員は、国外での近代的な重火器及び通信手段の購入に従事していた。

 パレスチナ暫定自治政府軍事情報部職員は、事実上、1996年9月 のツァハルとの衝突にも、「インティファーダ・アル-アクサ」の開始(去年9月末)にも参加しなかった。「アル-イスチフバラート・アル-アスカリヤ」の常任の部長は、ムサ・アラファト将軍 (アラファト議長の従兄弟)である。パレスチナの他の特務機関の指導者(先ず第1に、M.ダハランD.ラジュブ及びH.イスマイル)とは異なり、彼は、イスラエル人との接触を避けている。

 職員のテロ行為への関与と「アル-アクサ殉教者旅団」(ファタハ)との関係の文書証明が存在する。

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最終更新日:2005/01/17

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