サラフ・ムスタファ・シャハダ

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サラフ・ムスタファ・シャハダ ベイト-ハヌン村(ガザ地区北部)出身。1953年生まれ。アレキサンドリア社会労働者高等大学の卒業生。卒業後、エジプトのアル-アリシャ市で専門により働いた。1979年、ガザ地区に戻り、1982年まで、住民との社会業務の組織を担当した。80年代、ガザのイスラム大学の学部長だった。

 エジプト留学中、「ムスリム同胞団」(「ジャマート・アル-イフアン・アル-ムスリムーン」)の隊列に加わった。80年代初めから、同組織の南パレスチナ支部長アフメド・ヤシン師の側近。後者の周辺で、ガザ地区のイスラム教徒の安全問題と武装機構の創設に従事した。1984年、イスラエルの戦力職員により逮捕され、1986年まで禁固刑を受けた。1987年、「ムジャヒディ−ン」又は「ムジャヒディーン・アル-ファリャストゥン」の名を受けたガザ地区北部の「同胞団」の軍事部門を指揮した。

 1987年12月、「ハラカート・アル-マカウマ・アル-イスラミア」(ハマス)の創設に参加した。1988〜89年、ガザ地区の同組織の武装部隊司令官。

 1987年6月から1989年5月まで、「101グループ」の総合指導を実施した(直接の指揮官は、ムハマッド・ユスフ・シャラトハ)。彼の部下は、1989年2〜5月、イスラエル兵2人を誘拐し、殺害した。同じ月、イスラエル総合保安庁(シャバク)が「101」グループを無力化したのに引き続き、逮捕され、禁固25年を言い渡された。1996年1月にパレスチナ暫定自治政府シモン・ペレサイ政権により署名された協定に従い、S.シャハダは、大赦された。

 現在、ガザ地区のハマス武装部隊(「アズ・アド-ディン・アル-カサム」)司令官であり、ムハマッド・デイフが指揮する秘密特殊部隊「シュラ」の活動を監督している。2002年春、S.シャハダの指示により、イスラエルの軍事作戦「防壁」の結果被災したハマスの現地インフラを支援するために、ガザ地区外のヨルダン西岸に「シュラ」の秘密細胞が創設された(指導グループは、ナブルスで活動している。)。

 パレスチナ領外での「アズ・アド-ディン・アル-カサム」のための武器の調達と関連した全ての問題、並びに兵器及び爆発物の生産に関する現地研究室及び地下工場の業務を監督している。2001年中盤から、ハマスの国外指導部及びサウジアラビア総合情報庁の協力の下、「カサム」ロケット弾の各種改良型の開発を監督した。

 ハマスの政治指導部、特にA.ヤシン師とその活動を調整している。イラン情報・保安省及びシリア軍事情報部との関係で知られているイマド・アル-アラミが率いる組織のダマスカスの本部庁舎と接触を維持している。

 S.シャハダは、パレスチナ領内において、サウジアラビア王国総合情報庁とも接触を有し、密使を通して、エル-リャドの本部庁舎と連絡を維持している。

 1976年に結婚。6人の娘の父。

 S.シャハダは、有能な軍事指揮官であるだけではなく、傑出した雄弁家で、功績ある神学者でもある。彼は、ムスリムの哲学と法律の微細なニュアンスに素晴らしく通じている。組織者としての資質、豊富な軍事経験及び宗教知識のおかげで、S.シャハダは、自分の古くからの盟友、パレスチナ・イスラム運動の指導者A.ヤシン師の最も可能性のある後継者と考えられている。

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最終更新日:2004/05/06

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