南アフリカの情報機関

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安全・保安省(Ministery of Safety and Security)

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国家情報調整委員会(National Intelligence Co-ordinating Committee − NICOC)

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南アフリカ秘密局(South African Secret Service − SASS)

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国防軍情報団(National Defence Force Intelligence Division)

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国家情報庁(National Intelligence Agency − NIA)

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南アフリカ警察局(South African Police Service − SAPS)

 ソ連KGBが改編されていた当時、南アフリカ共和国の類似機構において、似たようなプロセスが進行した。最終的に、アパルトヘイト体制は崩壊し、黒人の多数派が、経験豊富だが、「白い」要員を特務機関から追い出し始めた。

 旧南アフリカ警察SAP(South African Police)は、今、SAPS(South African Police Service)と呼ばれている。白人から黒人への権力移行を誇示するために、制服、階級及び機構の全てが変更された。例えば、現国家警察委員長は黒人で、警察での業務経験がなく、代わりに、ANC(アフリカ民族会議)において著しいポストを占めている。SAPSは、財政事情が悪く、その士気は、いかなる批判にも耐えられない。

 汚職は、かつてなく強い。国家情報庁(National Intelligence Agency − NIA)の緊要ポストは、しかるべき経験のない黒人が占めている。例えば、ヨハネスブルグ近郊のNIAの機密本部庁舎において、今年初め、重要情報の入った数台のコンピュータと13台のマイクロバスが「紛失」し、結局、何も戻らなかった。現在、NIAでの汚職、諜報部とSAPS間の不和に関するいくつかの公然たるスキャンダルが起こっている。NIAとSAPSの系統活動は、重犯罪、ギャング犯罪等のような領域において、著しく低い成果しか収めていない。

 これらの犯罪の捜査は、最低でも逮捕と無期限の拘束により行われている。白人のプロが何の経験もない黒人と代わったため、南アフリカ秘密局(South African Secret Service − SASS)と軍事情報部(Military Intelligence Department)でも、同じ光景が見られる。

■南アフリカ共和国の特務機関におけるKGB及びシュタージ出身者

 それにも拘らず、1991年までに、南アフリカ共和国の国家指導者が、国内でプロを求めざるを得なかったという情報が存在する。特にこの時、南アフリカ共和国の特使は、「シュタージ」とKGBの元職員を積極的に採用し始めた。南アフリカの客引きは、ほとんど経験を有さない若者、モスクワの「ホワイト・カラー」、第1総局(現対外情報庁)のベテラン等、KGBのあらゆる専門家に関心を示した。一番手となったのは、1988年にKGB国境学校を卒業した数人の若い職員だった。1991年、彼らは、南アフリカ共和国に去った。先駆者に引き続き、同僚達が引き込まれ、1993年には、機密のPGU政治テロリズム局の高級将校の1人が去った。南アフリカ人がチェキストに提案した条件は、毎月約2千ドル+住宅だった。その結果、数十人の元チェキストと、その数倍の「シュタージ」職員が、南アフリカ共和国に忠誠を誓い始めた。そして、その新しい保安システムの編成に最も直接的に参加した。

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最終更新日:2052/09/07

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