ツチ族対フツ族

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 フツ族は多いが、ツチ族が上である。この短いフレーズの中には、その結果何百万人も被災した長年に渡る紛争の本質がある。この戦争には、今日、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジ及びコンゴ民主共和国(旧ザイール)の4ヶ国が直接巻き込まれているが、更にアンゴラ、ジンバブエ、ナミビアも活発に参加している。

 その原因は、非常に簡単である。ルアンダとブルンジ両国の独立獲得後、少なくとも5世紀の間両アフリカ民族間に存在したある意味で唯一の「社会合意」が破られた。

■遊牧民と土地所有者の共生

ツチ、フツ及びピグミー(20世紀初頭) 15世紀末、現ルワンダ領土において、フツ族土地所有者の初期国家が生まれた。16世紀、北方からこの地域に、背の高い遊牧民のツチ族が侵入した(ウガンダにおいて、彼らは、各々ヒマ族とイル族と呼ばれ、コンゴにおいて、ツチ族は、バニヤムレンゲ族と称され、フツ族は事実上そこには住んでいない。)。ルワンダにおいて、ツチ族は、成功をふいにした。 国を征服した彼らは、ここで、ウブハケという名称を得た独特な経済システムを創設することができた。ツチ族自身は、農業に従事せず、これはフツ族の義務であり、 ツチ族は、放牧と家畜に従事した。つまり、農業と牧畜業の共存という一種の共生が形成された。この際、放牧される家畜の一部は、小麦粉、農作物、 農具等と交換で、フツ族に手渡された。

 ツチ族は、大型有角獣の大群の所有者として、貴族となり、彼らの課業は、戦争と詩吟になった。これらのグループ(ルワンダ及びブルンジのツチ族、 ヌコルのイル族)は、独特な「貴族」カーストを形成した。土地所有者は、家畜を所有する権利を有さず、一定の条件下でその放牧にだけ従事した。彼らは、行政ポストを占める権利も有さなかった。このようにして、何世紀も続いた。しかしながら、両民族間の紛争は、不可避だった。ルワンダでも、ブルンジでも、フツ族は、85%以上と多数派を構成し、 言い換えれば、扇動的な少数民族が甘い汁を吸っていた。状況は、古代ギリシアのスパルタ人とへロットを髣髴させた。このアフリカの大戦争のスタートのキーとなったのは、ルワンダでの事件だった。

■平衡の崩壊

ルワンダ 当初ドイツ、第一次世界大戦後はベルギーの旧植民地、ルワンダは、1962年に独立を得た。恨みあるフツ族は、その場で権力を掌握し、 ツチ族を排除し始めた。80年代末に始まり、1994年にピークに達したツチ族の大規模迫害は、西側において、ジェノサイドとして評価された。当時、70万〜80万人のツチ族、並びに穏健派フツ族が殺された。

 同1962年に独立を得、ツチ族とフツ族の比率がルワンダとほぼ同じだったブルンジにおいて、連鎖反応が始まった。ここで、ツチ族は、政府と軍において多数派を保持したが、このことは、フツ族がいくつかの反乱軍を創設することを妨げなかった。フツ族の最初の蜂起は、1965年に遡り、厳しく鎮圧された。1966年11月、軍事クーデターの結果、共和国が宣言され、国内に全体主義的軍事体制が確立された。内戦の性格を帯びた1970〜1971年のフツ族の新たな蜂起は、約15万人のフツ族が殺され、10万人以上が難民となることをもたらした。

 その間、80年代末にルワンダから逃亡したツチ族は、ウガンダ (そこでは、ちょうど、出身に関してツチ族の親族であるムサヴェニ大統領が権力を掌握した。)に基地を置くいわゆるルワンダ愛国戦線(RPF)を創設した。RPFは、ポール・カガメが率いた。彼の部隊は、ウガンダ政府の武器と支援を受け、ルワンダに戻り、首都キガリを奪取した。カガメは、国の統治者となり、2000年、ルワンダ大統領に選出された。

  戦争が燃え上がっていた以上、ツチ族も、フツ族も、両民族は、ルワンダとブルンジの国境の両側の同族との協力を迅速に整え、その透明度のおかげで、これを完全に助長した。その結果、ブルンジのフツ族反乱軍は、再び追い出されたルワンダのフツ族と、カガメの権力掌握後 にコンゴに逃亡せざるを得なかった同族を援助し始めた。少し前、同じような国際同盟をツチ族が組織した。その間、部族間紛争には、もう1つの国、コンゴが巻き込まれた。

■コンゴ方面(コンゴ民主共和国の情報機関

ツチ族(1910年) 2001年1月16日、コンゴ民主共和国大統領ロラン-デジレ・カビラが殺された上に、この情報を最初に流布したのは、ウガンダ特務機関だった。後に、コンゴ防諜部は、大統領暗殺でウガンダとルワンダの特務機関を非難した。この非難には、真実の一部があった。

 ロラン-デジレ・カビラは、1997年、独裁者モブツを打倒して、権力を掌握した。ここでは、西側特務機関、並びに当時までにウガンダでも、ルワンダでも統治していたツチ族が彼を助けた。

 しかしながら、カビラは、非常に早く、ツチ族と争うことになった。1998年7月27日、彼は、全ての外国軍人(主として、ツチ族)及び文民官僚を国外追放し、コンゴ出身者ではない者で充足されたコンゴ軍部隊を解散すると表明した。彼は、「中世のツチ帝国を復活させる」意図で彼らを非難した。1999年6月、 カビラは、ルワンダ、ウガンダ及びブルンジを国連憲章に違反した侵略者として認めることをハーグ国際裁判所に要請もした。

フツ族 その結果、90年代初めのツチ族に対するジェノサイドで裁かれようとしていたルワンダから逃亡したフツ族は、直ぐにコンゴに隠れ家を見つけ、報復として、カガメは、同国領内に自軍を導入した。始まった戦争は、ロラン・カビラが殺されるまで、袋小路に入り込んだ。コンゴ特務機関は、30人 の殺人者を見つけ、死刑を言い渡した。実際、真の有責者の名前は挙げられなかった。ロランの息子、ジョゼフ・カビラが、権力を掌握した。

 戦争を終わらすためには、更に5年が必要だった。2002年7月、カガメとカビラの両大統領は、1994年にツチ族80万人の虐殺に参加し、コンゴに逃亡したフツ族が武装解除されるものとする協定に署名した。一方、ルワンダは、そこに存在する2万人の自国軍部隊のコンゴ領土からの撤収を義務付けられた。

 今日、いやおうなしに、他の国も紛争に巻き込まれた。タンザニアは、数千人のフツ族難民の避難所となり、アンゴラ、並びにナミビア及びジンバブエ は、カビラの援助のために、コンゴに自国軍を派遣した。

■ツチ側の米国

ポール・カガメ ツチ族も、フツ族も、西側諸国に同盟国を見つけようと試みた。 ツチ族は、これを上手くやったが、彼らには、当初から、より大きな成功のチャンスがあった。共通の言葉を見出すのが簡単だったことを含めて、ツチ族のエリートの地位は、何十年も、西側で教育を受ける機会を彼らに与えていた 。

 現ルワンダ大統領、ツチ族代表ポール・カガメは、特にこうして同盟国を見つけた。3歳のポールは、ウガンダに連れ出された。そこで、彼は、軍人となった。ウガンダ民族抵抗軍に入り、内戦に参加し、ウガンダ軍事情報局副局長職まで 勤め上げた。

 1990年、彼は、フォート・リベノート(米カンザス)で参謀課程を受け、この後初めて、ルワンダ進軍を指揮するために、ウガンダに帰った。

 その結果、カガメは、アメリカ軍人だけではなく、アメリカ諜報部とも素晴らしく関係を整備した。しかし、権力闘争において、当時のルワンダ大統領ジュヴェナル・ハビヤリマナが彼を妨害した。しかし、間もなく、この障害は除去された。

■アリゾナの足跡

ウェイン・マドソン 1994年4月4日、地対空ミサイルが、ブルンジとルワンダの大統領を乗せた飛行機を撃墜した。実際、ルワンダ大統領の死の原因に関しては、様々な説が存在する。事件の独自調査を行った「アフリカにおけるジェノサイドと秘密作戦。1993〜1999」(Genocide and Covert Operations in Africa 1993-1999)の著者、有名なアメリカのジャーナリスト、ウェイン・ マドソンと連絡を持った。

 メドセンの言葉によれば、フォート・リベノートにおいて、カガメは、米軍事諜報部DIAと接触に入った。この際、カガメは、マドソンの情報によれば、フランス諜報部とも相互理解を見出すことができた。1992年、元大統領は、パリでDGSE職員と2回の会見を行った。そこで、カガメは、当時のルワンダ大統領ジュヴェナル・ハビヤリマナの暗殺の詳細を審議した。1994年、彼は、ブルンジ大統領キプリエン・ヌタリヤミラと一緒に、撃墜された飛行機で死亡した。「私は、合衆国が1994年4月4日のテロ行為に対して直接責任を負うとは考えないが、カガメに提供された軍事及び政治支援は、アメリカ情報共同体と軍人の若干のメンバーが、4月のテロ行為の立案及び計画において直接の役割を演じたことを予想させる」と、 マドソンは語った。

■ベルギーのアプローチ(ベルギーの情報機関

 それにも拘らず、紛争に参加した4ヶ国の内、ブルンジ、ルワンダ及びコンゴの3ヶ国は、1962年までベルギーにより支配されていた。しかしながら、ベルギーは、紛争において消極的に振舞い、今日、多くの者は、特にその特務機関が紛争を止める機会を 故意に見逃したと考えている。

 ロシア科学アカデミー・アフリカ研究所長アレクセイ・ワシリエフの情報によれば、フツ族戦闘員が10人のベルギー平和維持軍を射殺した後、ブリュッセルは、同国から全軍人を撤収する指示を下した。この後間もなく、ベルギー兵が警備するはずだったルワンダの学校の1つで、約2千人の児童が殺された。

 それにも拘らず、ベルギー人は、ルワンダを簡単に捨てる権利を有さなかった。秘密解除されたベルギー軍事情報部SGRの1993年4月15日付報告によれば、在ルワンダ・ベルギー共同体は、当時、1,497人を数え、その内900人は、首都カガリに住んでいた。1994年、ベルギー市民全員を救助する決定が採択された。

 1997年12月、ベルギー上院特別委員会は、ルワンダにおける事件の議会調査を行い、諜報機関がルワンダであらゆる業務を行っていたと確定した。

 それにも拘らず、ベルギーの消極的な立場は、ブリュッセルが民族間紛争においてフツ族に賭けたことにより説明されるとする説がある。同上院委員会は、ベルギー部隊の将校がフツ族過激派側からの反ベルギー感情について報告していたにも拘らず、軍事情報部SGRがこの事実に沈黙したとの結論を下した。ロシアの情報によれば、一連のフツ族貴族の代表は、 旧宗主国に古くからの価値ある関係を有し、多くの者は、そこで所有権を取得していた。ベルギーの首都ブリュッセルでは、いわゆる「フツ族アカデミー」すら活動している。

 ちなみに、国連の武器不法取引に関する専門家とアントワープの平和研究所長ヨハン・ペレマンの情報によれば、90年代のフツ族への武器の補給は、ベルギー最大の港湾の1つ、オステンデを通して行われた。

■袋小路からの出口

 現在のところ、ツチ族とフツ族を仲裁する全ての試みは、失敗に終わっている。南アフリカで試みられたネルソン・マンデラの方法は失敗した。ブルンジ政府と反乱軍間の交渉における国際仲介者となった元南アフリカ共和国大統領は、1993年、7年に渡る民族間紛争の和平調停が、少数派のツチ族の権力独占の否定の下でのみ可能だと表明し、「一人一票」の図式を提案した。彼は、「軍は、別の主要民族であるフツ族から少なくとも半数を構成しなければならないが、投票は、一人一票の原則で行うべきである」と表明した。

 ブルンジ当局は、この実験を試みた。これは、悲惨に終わった。同1993年、ピエール・ブイオヤ大統領は、法的に選出されたフツ族大統領メリヒオル・ヌダイドに権力を委譲した。同年10月、軍人は、新大統領を殺害した。報復として、フツ族は、5万人のツチ族を撲滅し、軍は、仕返しに5万人のフツ族を殲滅した。次の大統領キプリエン・ヌタリヤミラも殺された。特に彼は、1994年4月4日、ルワンダ大統領と同じ飛行機で飛んでいた。その結果、1996年、ピエール・ブイオヤは、再び大統領になった。

 今日、ブルンジ当局は、「一人一票」の原則を再導入することは、戦争の継続を意味すると考えている。それ故、何れかの民族グループの過激派の積極的な役割を押しのけて、フツ族とツチ族の権力交替システムを創設する必要がある。今、ブルンジでは、休戦が締結されたが、これがどの位続くかは、誰も知らない。

 ルワンダの状態は、より平穏なものと見られている。カガメは、自らを民族所属に拘らず、全ルワンダ人の大統領と呼んでいる。しかしながら、90年代初めのツチ族のジェノサイドに責任があるフツ族を厳しく追及している。

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■ロシア科学アカデミーアフリカ研究所長アレクセイ・ワシリエフ、「プラウダ」紙アフリカ・近東担当国際ジャーナリスト

 今日、ツチ族とフツ族は、どの程度異なるのか?

 何百年にも渡り、彼らは、近くなったが、それでもやはり、別民族である。彼らの古代史は、全く明らかではない。ツチ族は、より遊牧民で、伝統的に優れた兵士である。しかし、ツチ族とフツ族の言語は同一である。

 この紛争におけるソ連、今のロシアの立場は、どうだったのか?

 ソ連は、いかなる立場も取らなかった。ルワンダとブルンジにおいて、我々には、いかなる利益もなかった。そこでは、我々の医師が働いていただけだったと思う。コンゴ民主共和国には、当時、米国と同盟するモブツが存在した。この体制は、ソ連に敵対的だった。私は、個人的にモブツと会見し、彼は、私に「何故、私がソビエト連邦に反対していると思うのか。私は、あなたの国のイクラを喜んで食べている」と語った。ロシアには、ルワンダとブルンジでの事件に対して、いかなる立場もなかった。非常に小さな我が大使館、それで全てだった。

 ロラン-デジレ・カビラ暗殺後、彼の地位は、息子のジョゼフが占めた。彼の政策は、父親の路線と異なっているか?

 ロラン-デジレ・カビラとは、ゲリラのリーダーである。恐らく、ルムンバとチェ・ゲバラの理想に指導され、彼は、巨大な国の権力を握った。しかし、彼は、西側に対する攻撃的発言を自らに許した。息子は、西側と協力し始めた。

P. S. ルワンダにおけるロシアのプレゼンスは、大使館に限られている。1997年から、ここでは、ロシア非常事態省のラインで、1999年 に工業センターに改編された「自動車学校」プロジェクトが実現されている。

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最終更新日:2004/05/16

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