シリア・アラブ陸軍

 1920年に編成された委任統治義勇軍は、シリア・アラブ・ナショナリズムの脅威を念頭において設立された。部隊の将校が元来全員フランス人だったにも拘らず、事実上、最初の自前の近代的なシリア陸軍だった。1925年、部隊は、レバント特殊部隊(Troupes Spéciales du Levant)と称された。1941年、部隊は、ビシー・フランスをシリアから追い出す英国と自由フランスの侵略への無益な抵抗に参加した。連合国の接収後、陸軍は、自由フランスの支配下に入り、レバント部隊(Troupes du Levant)と称された。

 フランス委任統治当局は、シリアの広大な地方を警備するために憲兵を維持した。この準軍隊は、犯罪と委任統治政府の政敵対策に使用された。レバント特殊部隊において、フランス人将校は トップのポストを保持したが、シリア独立が近づくにつれ、少佐以下の階級は、1930年代にフランスにより設立されたHomsの軍事アカデミーから卒業したシリア人将校で徐々に充足された。1938年、特殊部隊(Troupes Spéciales)は、約10,000人及び将校306人を数えた(その内88人はフランス人で、主として上級職だった。)。シリア兵員の大多数は、地方出身で、少数民族出身(主として、アラウィ人、ドルーズ人、クルド人、及びキルカッス人)だった。1945年末までに、陸軍は約5,000人、憲兵は約3,500人を数えた。1946年4月、最後のフランス人将校がシリアを離れた。レバント部隊は、その時、新しい独立国の正規軍となり、1948年から1986年の間の4回のアラブ・イスラエル戦争の最初(1982年のイスラエルのレバノン侵攻を数えない。)、1948年のアラブ・イスラエル戦争時までに、約12,000人までに急速に成長した。

 軍の人力の圧倒的多数は、1946年以来義務的かつ普遍的で(小さなユダヤ共同体だけが 免除されている。)、1953年に軍務法により公式に規定された男性の徴兵からもたらされた。女性は、兵役を要求されないが、勤務する者もいる。しかしながら、彼女達は、軍事的役割よりも公共関係を担当する。男性は、18歳時に徴兵登録を行わなければならない。毎年、約125,000人が、30ヶ月間の徴兵期間が始まる19歳に到達する。1985年、人口は、1千万人以上と見積もられ、125万人の男性が軍務に適合した。

 1963年のバース党の権力掌握前、軍務に余り魅力を感じない中流及び上流階層の若者は、しばしば、金納で徴兵を免除された。その時以来、この実践は廃止されているが、国外のアラブ諸国に住む若者は、法律により規定された金納で免除され続けてた。大学生は免除されたが、多くは、夏季軍事訓練キャンプに出席し、全員がその卒業後に軍務に就く義務を負った。観察者は、1980年代中盤 に召集された者達が社会の広範囲な部門を代表したと指摘した。

 徴兵は、シリア陸軍の一連の選択に直面した。その徴兵期間の終了後、男性は、5年間、現役勤務に入隊するか、入隊を選択しない場合、18年間予備役として勤務する。入隊し、5年間の勤務中に下士官になった場合、職業制下士官になることができた。下士官の地位に到達しなかった志願兵は、再入隊できるが、15年間の勤務後か40歳到達により自動的に退役させられた。職業制下士官は、45歳か、その依願により20年間の勤務後に退役した。

 召集兵は、一般に、機械的及び技術的技量を欠いたが、1970年代初め、6年制の小学校を卒業した召集兵の数が劇的に増加し、中学校及び職業学校卒業者数が増加した。ほとんどの粗野な地方出身の召集兵は、苦難に耐え、厳格な規律を受け入れるのに慣れている。軍務は、その現役中に技術的訓練を受け、役に立つ特技を持って除隊するため、その健康を改善する機会を新兵に与えている。

 将校は、主として将校団の高度な政治化のため、召集兵ほど一般社会を代表しない傾向にある。将校にはバース党に加入することは要求されなかったが、党籍は、将官への昇進に必須の要素だった。

 政治的忠誠心に加えて、将校団は、植民地の軍事力に少数派集団を採用するフランス委任統治政策に基づく条件、少数派のアラウィ人とドルーズ人の支配を特徴とした。将校の多くがスンニー派であるにも拘らず、重要な上級ポストのほとんどは、アラウィ人が保持している。

 1987年、陸軍は、圧倒的に優勢な軍種だった。軍の機構におけるほとんどの上級ポストの支配に加えて、陸軍は、全軍種の約80%、最大の人力を有した。1985年、正規軍は396,000人、予備役300,000人と見積もられた。陸軍は、9個師団級部隊を有した。部隊組織における主な発展は、特殊部隊に基づく追加師団級の設立と、地上部隊の2個軍団への組織だった。陸軍の現役人力は、2個諸兵科連合軍団、5個装甲師団(1個独立装甲旅団を含む。)、3個機械化師団、1個特殊戦力師団、及び10個独立空挺旅団で勤務した。

 最大であることに加えて、陸軍は、4,100両以上のソビエト製戦車(先進的なT-72×1,000両を含む。)とSAM中隊 及び無数の対空砲の恐るべき防空システム並びに砲兵の3軍最良の装備を有した。1987年、シリアは、射程500kmの500基の新しいソビエト製SS-23弾道ミサイルの受領が予定された。シリアはまた、ミサイル弾頭に化学剤を使用する能力と共に、神経ガスを含む国産化学兵器を生産し始めているともいう。防空司令部は、陸軍司令部内にあるが、空軍要員が構成し、約60,000人を数えた。要員は、20個防空旅団(約95個SAM中隊から成る)及び2個防空連隊で勤務した。防空司令部は、迎撃機及びレーダー施設への指揮権のアクセスを有した。防空は、ダマスカス及びアレッポ周辺のSA-5長射程SAM中隊、レバノン国境のシリア側沿い及び東レバノンに追加配備されたSA-6及びSA-8機動SAM部隊、並びに通常弾頭の短射程SS-21地対地ミサイルを含んだ。1,800人の国境警備隊(時折、砂漠警備隊又は辺境部隊と称される。)も、陸軍司令部の下にあり、広大な国境地域の警戒を担当した。

 シリア陸軍は、6から7個装甲師団、3個機械化師団、1個特殊戦力師団、及び1個共和国親衛隊師団から成る3個軍団に組織される。各装甲師団は、3個装甲旅団、1個機械化歩兵旅団及び4個大隊から成る1個師団砲兵連隊を有する。各機械化師団は、2個装甲旅団、2個機械化旅団及び4個大隊から成る1個師団砲兵連隊を有する。

 典型的な装甲師団は、約8,000人を数え、機械化師団は、11,000人を含み得る。

 特殊戦力師団は、3個連隊を有する。正式な師団本部が存在するのか、3個連隊を1つにまとめる容易さのためのなのか、明らかではない。

 共和国親衛隊装甲師団は、3個装甲旅団、1個師団砲兵連隊から成る。

 シリア陸軍は、7個旅団から成る1個空挺師団も有する。

 沿岸防衛旅団は、海上からの脅威に対する防御において、海軍部隊を支援する。旅団は、SS-C-1BとSSC-3地対艦ミサイルを装備する。

 3個地対地ミサイル旅団は、各々1個FROG-7大隊、1個Scud-B/C大隊及び1個SS-21大隊から成る。シリアのSSM総数は、FROG-7×18基、SS-21×18基、並びにスカッドB及びC×26基を含むものと見積もられている。

 最後に、1個戦車連隊、4個歩兵旅団、2個対戦車旅団、2個砲兵旅団及び10個特殊戦力連隊を含むいくつかの独立部隊が存在する。

 2002年、シリア陸軍は、約215,000人を有する。シリア陸軍の一般的即応性と有効性は、その特殊部隊、概ね2個装甲師団、1個機械化師団及び共和国親衛隊師団の一般に良好な即応性にも拘らず、かなり低い。シリアは、約4,700両を数える著しい数の戦車を有するが、1,200両は固定防御陣地に位置し、もう2,000両はT-55とT-62である。しかしながら、シリアは、約1,700両のT-72/72Mを有する。

 事実上、シリアの装甲偵察車両の全て(BRDM-2×600両とBRDM-2 RKH×125両)、2,000両のBMP-1は、時代遅れだが、200〜350両のBMP-2とBMP-3は、より近代的である。

 シリア砲兵の能力は顕著で、2S1型122mmと2S3型152mmを装備している。その牽引砲は、ほとんど122mm、130mm及び152mm砲から成る。その多連装ロケット発射機は、63式107mmとBM-21 122mmから成る。Anthony Cordesmanによれば、シリアは、原則的に、固定大量射撃に依存しており、迅速な射撃転換能力がない。 視界外の精度も、機動し、対砲兵レーダー及び目標捕捉システムを利用する能力と同様に欠いている。

 シリアの予備戦力は、4個装甲旅団から成る1個装甲師団、2個装甲連隊、31個歩兵連隊及び3個砲兵連隊を含む。

 シリアは、現在、レバノンのベイルート、メトン、ベッカー峡谷、トリポリ、バトルム及びカフル・カロウスに約18,000人の部隊を有する。これらの部隊は、1個機械化師団本部(ベッカー峡谷)、4個機械化旅団(ベイルートに1個、メトンに1個、ベッカー峡谷に2個)、1個装甲旅団(ベッカー峡谷)、約10個特殊戦力連隊又は連隊級部隊(ベイルートに5個、トリポリに1個、 バトルムに1個、及びハフル・カロウスに3個)から成る。

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最終更新日:2004/03/15

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