カタール空軍

 1971年まで、この小国は、英総督の統治下にあった。その下で、国家保安軍が編成された。これは、1968年3月30日、英国の直接援助の下で行われた。つまり、ウェストランド「ウィルヴィンド」×2機が受領されたが、実際、英国人パイロットが操縦した。

 1971年12月、空軍は、最初の軍用機、「ハンター」F.78×3機とT.79訓練機×1機を受領した。1974年、空軍は、国家保安軍から独立し、カタール首長国空軍という近代的な名称を得、その主任務は、地上部隊の支援となった。このために、ウェストランド「コマンドー」Mk.2A×4機が購入され、第9飛行隊に編入された。その外、重要人物の輸送のために、Mk.2C×1機が購入され、旧式化した「ウィルヴィンド」を戦闘編成から外すことができた。カタール警察の航空部隊も、別途に組織された。警察は、1983年まで2機の「ガゼル」ヘリを運用し、後に空軍の賃借対照表に移管された。

 石油輸出からの収入は、空軍の再装備を始めることを可能にした。つまり、1979年12月、「アルファジェット」攻撃機×6機の納入契約が署名された。最初の3機は、1980年10月、ドーハ航空基地(ちなみに、国内唯一)に着陸した。これらの機体は、第11飛行隊を組織した。1980年末、フランスにおいて、「ミラージュ」F.1戦闘機×12機とF.1DDA訓練機×2機の納入に関する協定が署名された。しかしながら、同協定に従い、フランス人がパイロットも訓練する義務を負い、4年間に渡ってモン-デ-マルサン航空基地で続けられたため、最初の機体は、1984年7月になって初めてカタールに着陸した。

 80年代、ヘリも著しく一新された。第9飛行隊は、1982年、「シュペール・ピューマ」×6機が充足され、そこには、「コマンド」Mk.3×8機と対戦車ミサイル「ホット」を装備した「ガゼル」×12機が加わった。しかしながら、後に、「コマンド」から、水上船舶との戦闘を主任務とする第8飛行隊が組織され(同時に、対艦ミサイル搭載用に改造された。)、「ガゼル」は、第6飛行隊に入った。そこには、「警察」の「ガゼル」とウェストランド「リンクス」Mk.28×3機も加わり、偵察及び監視のために使用された。

 この時、政府要人の輸送のために、ボーイング707×2機とより近代的なボーイング727×1機が使用された。

 1991年の湾岸戦争中、カタールは、米国とその同盟国を支援した。つまり、ドーハ航空基地には、カナダとフランスの攻撃機が駐機した。カタール空軍の「ミラージュ」と「アルファジェット」も、クウェート内のイラク施設に対する打撃時、連合国の攻撃機を護衛して、かなり積極的に参加した。これは、空軍史上最初の戦闘使用の事例だった。

 1994年中盤、残った「ミラージュ」F.1EDA×11機とF.1DDA×2機が、スペインに売却されたという報道が現れた。

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最終更新日:2004/02/28

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